薄氷の城

第 15話 因縁

 今日は、天気が良い。冬の澄んだ空気で青空が一段と青く見える。青空は自分を小さく見せるから嫌いだ。
 空のような、全てを包み込む堂々とした姿。あの時の私が、あの娘のような笑顔を見せていれば、何か違ったのだろうか。
 
「スザンネ、ウィルヘルミナからは何か届いている?」
「いいえ。今日は届いておりませんが。」

 アンドレーアが窓際に立つと、アニカが一人庭を歩いている姿が目に入った。未だ若々しい姿の彼女を見て、アンドレーアの記憶は一気に戻る。


∴∵
 
 
「アンドレーア、お前に王家からマウリッツ王子の許嫁にと話しが来ている。もちろん・・」
「もちろんお受けします。」

 風が青葉の隙間を渡って、爽やかに吹いている庭で、私たちは初めて二人きりの茶会をした。風に乗ってほのかに何か花の香りもした。
 王家から個人的にお茶の誘いがあり、それを受けると未成人では許嫁として、成人は婚約者として内定したと世間では認知される。
 十代だった私は、殿下から第一声どんな言葉かけられるのか、 一人ずっと考えていた。 ‘ずっと好ましく思っていた…なんてことは言わないか、受け入れてくれて嬉しいとは言ってくれるかしら?君を幸せにする?それじゃ、直ぐに結婚するみたいね。’ 色々な言葉を考え心躍らせていた。

「それじゃ、私はこれで。これから剣の稽古があるんだ。君・・アンドレーアは庭をゆっくり見て帰ると良い。今は色々な花が見頃になっているから。案内なら私の侍従がする。」

 殿下がやっと口を開いたのは、私が三杯目の紅茶を飲んでいた時だった。彼は私の返事を聞かずに席を立ち、去って行った。

「ブラウェルスご令嬢アンドレーア様、お庭をご案内致します。」

 私は小さく頷き、席を立った。

 それから数年経ち、私は二十歳になっていた。許嫁のいる貴族ならば、結婚が出来る年になったら直ぐに正式に婚約し、その後、半年から一年くらいで結婚するのが通常だ。それなのに私は十九の時に婚約したまま、結婚の話しが進まなかった。

「お父様、どう言う事なの?何故、結婚の話しが進まないの?」
「あぁ。私も聞いてはいるのだが…殿下はもう少し力を付けてからにしたいと言うばかりで。」

 そして、結婚したのが二十二歳の時だった。
 やっとできた結婚生活に不満などはなかった。彼は父のように私を恫喝するような言動を取ることは一度もなかった。けれど愛を囁かれたことも一度もなかった。そして、週に一度必ず城外に泊まって帰ってきた。誰に何を調べさせなくてもわかった。私以外に好きな女がいるのだと。
 そんな結婚生活の中、第一王子の正妃と言う座が、私のたった一つの拠り所となった。だからこそ、王子を産み、自分の地位を揺るぎないものにしなければならなかった。どこかの女に第一王子の母の座まで奪われるわけにはいかなかった。
 ヘンドリックが生まれ、ヴィレムが生まれ、ウィルヘルミナが生まれた。祖父のフィリップ陛下が崩御し、父のヨハン殿下が王に即位した。マウリッツ殿下は立太子し、私は王太子妃となった。そうして現れたのが、アニカだった。
 若々しく、艶やかで、蜂蜜のような透明感のある輝くゴールドブロンドヘアの彼女は私の侍女となった。あの時、私にアニカを紹介した王妃の言葉と表情を今も忘れることはない。

「王太子妃、そんな表情をしてはなりません。彼女にまつわる事全て私が差配したのです。感謝されこそすれ、批難する様なこと。」

 王妃は表情を歪めた私に、その事を咎めたのだ。

「彼女にはクリストッフェルという十三になる子がいます。王太子の子は、あなたの子と考えて接する様に。」

 その後の事は記憶にない。気がついた時には、テーブルを挟み、殿下が目の前に座っていた。

「城を移る今が良い機会だと思ってね。ずっと、もう一人男の子が欲しいと言っていたろう?教育は生まれた時から母に引き取られずっと受けてきたから問題はない。」
「なぜ…なぜ…」
「うん?なんだい?」
「私ではなく、お義母(かあ)様に先にお話ししたの?」
「アニカの妊娠が分かった時、君は臨月だった。時を選んで話しをしようと思っていたらウィルヘルミナが生まれ、君は男の子ではなかった事にとても落胆していてそんな話しが出来る状態ではなかっただろう?」
「もう十三だと言うではありませんか…そんな年になる前に話す機会はあったでしょう?」
「母上とも話したんだが、成年になるまでは母上の元で教育を受けた方が、」
「だから、私たちの子として扱えと言うならば、なぜお義母様が全てをお決めになるのですか?」
「君はヘンドリックやヴィレムのことだけで余裕がなかっただろう?」
「そんなことは」
「ウィルヘルミナの事だって配慮できていなかっただろう?話さずにいたのは君にこれ以上は負担をかけたくないと思ったからだよ。アニカもこの城に住むことにはなったが、彼女が表に出ることはない。クリストッフェルの母として振る舞うこともない。」
「だから?」
「君が気に病むことがない様に配慮したから、クリストッフェルのことよろしく頼むよ。」

 立ち上がった彼は、座ったままの私を見下ろして笑顔を作った。

「女性がずっとそんな表情でいてはいけないよ。女性には微笑みがよく似合う。」


∴∵
 

 ユリアーナはボーからヴィレムの帰りを告げられ、エントランスに迎え出た。そこに着飾った姿の小柄な女性が現れた。ゴールドブロンドは艶やかで軽く波打っている。

「奥様。改めまして、私イルセ・ハルセマと申します。」
「えぇ。お義母様からお話しは聞いています。…これから旦那様を一緒に支えて参りましょう。」

 ユリアーナが足音に気が付き振り向くと、ヴィレムが玄関に着いたところだった。彼は一瞬怯んだようにも見えたが、笑顔を崩さずに真っ直ぐにイルセの方へ向った。

「出迎えをありがとうイルセ。」
「お帰りなさいませ、ヴィレム様。」
「イルセ、出迎えはしなくていいから明日からは部屋にいなさい。出迎えはユリアーナに頼むから。」

 イルセは、ヴィレムの顔を笑顔で見つめている。

「さぁ、部屋に帰りなさい。」

 イルセは微笑みを崩さないまま、礼をしてから踵を返した。

「母上から、」
「はい。伺いました。最上階の客間の一室を整え直しましたので、今までのメイド部屋からそちらへ移ってもらいました。」
「ユリアーナ。」
「何でしょう?」
「…いいや。彼女の生活が不自由のないよう、」
「はい。承りました。」

 先を歩いていたヴィレムは立ち止まり、ユリアーナの方に振り向いた。

「どうなさいましたか?」

 彼女の笑顔は昨日までとまるで変わりがない様に見える。ヴィレムは軽く首を振ると、再び歩き始めた。
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