薄氷の城

第 17話 期待

「来年の六月に隣国ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンの国王夫妻結婚三十周年の記念式典があり、我が国も招待に対する内示をもらった。」

 長いテーブルには王のヨハン、王太子のマウリッツ、その子のヘンドリックとヴィレムがいる。

「慣例で、このような式典に国王が参列することはない。私の代理でマウリッツに出席してもらうつもりだ。その随行としてヴィレムに行ってもらおうと思う。」
「はい。わかりました。」
「ヘンドリックから、新しい防衛組織の構築のためにプリズマーティッシュについて興味を持っていたと聞いた。これを機会によく見てくると良い。」
「はい。」
「期待しているぞ。」


∴∵


 アルテナの紋章が付いた一際立派な馬車は、馬車道の真ん中をスピードを一度も緩めることなく走り抜ける。
 ヴィレムの居城オモロフォ城は、王の居城イペロホス城から馬車で十分ほどの場所にある。
 重厚な門扉を潜ると人の背丈の倍はありそうな深い空堀があり、空堀には数多の先端が尖った杭が埋め込まれていて、そこに木橋が架けられている。
 エントランスにはいつもの様にユリアーナが待っている。
 ここ最近は三階にあるイルセの部屋へ直行していたが、ヴィレムは自室へ向うと言い、ユリアーナにもついてくるように言った。

「四月に隣国ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンへ行く事になった。もちろん公爵夫人としてユリアーナも一緒だ。」
「ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンに?」
「あぁ。六月に国王夫妻の結婚三十周年式典が行われるそうで、父上が参列する。それに随行してあの国がどんな国なのか内偵するのが私の勤めだ。祖父も父上も私の働きに期待して下さっている。ユリアーナもあの国のことを少しでも良いから勉強して欲しい。私の足を引っ張る様なことがない様に。」
「あの、旦那様。いくつかお知らせしたいことがあって。」
「ん?なんだい?」

 変わらず、ヴィレムは背を向けて着替えをしている。

「一つは、フェルバーンのレンブラントとマリアンネを縁組みさせたいと、ヨハンから話しが。」
「あぁ。良いじゃないか。進めれば良い。それと?」
「懐妊致しました。出産は十二月頃になるようです。」

 ヴィレムは、着替えの途中で振り向いた。

「何故、今まで言わなかった。十二月ならばイルセと同じ頃ではないか。もう分かってから随分と経っているだろう。」

 イルセの懐妊が分かってからの一ヶ月半、ヴィレムはユリアーナの出迎えにひとこと、ふたこと会話を交わしながら、イルセの部屋へ直行していた。話したいことがあるとユリアーナが言っても上の空で、生返事をしながらイルセの部屋へ向うので、流石に一緒にイルセの部屋に行く気にはならず、居間のある二階まで一緒に登るとそのまま見送っていた。

「君は今回もつわりと言うものがなかったんだね。」
「えぇ。つわりは軽い質のようで、今回も殆ど吐き気もなく。」
「と言う事は、また女だろうね。イルセを見ていると分かるよ。母上もウィルヘルミナの時だけはつわりで苦しまなかったと言っていた。」

 ヴィレムは柔和な笑顔をユリアーナに見せる。

「十二月に出産ならば、四月の外遊には間に合うだろう。ならば良い。明日からプリズマーティッシュに詳しい講師を呼んでおいたから、勉強をしておく様にね。」

 ヴィレムは振り返りもせずに部屋を出て行った。


∴∵


「陛下、ヴィレムはどうでしたか?」

 ヨハンはルーセのグラスにワインを注いだ後、自分のグラスにも注ぐ。
 
「ルーセの言う通りに言ってみたら、随分と張り切ってプリズマーティシュに詳しい歴史学者を呼んだりしていた。」

 ワインを一口飲んで、ルーセはニッコリと笑った。

「そうでしょう。王太子が行く以上、その次の後継者であるヘンドリックを行かせて、プリズマーティシュに何か仕掛けられたら大事。今度は私から何かの時は身を挺して王太子を守るようヴィレムに伝えておきます。」
「そのような事まで言わずとも…」
「あの子は小さな時から、兄であるヘンドリックに劣等感を抱いていました。だから、期待しているなんて言葉に弱いのです。努力だけはできる子のようですから。まぁ頑張ってくれるでしょう。今までこの様に大がかりな式典で我が国を招待することなどなかったのに、突然招くととは、何か企んでいるに違いありません。」

 ヨハンは何度か小さく頷いた。

「長らく()の国では我が国などないにも等しい扱いだったのにな。かと言って、国王直々の招待に、継承権を持たぬ者を行かせるわけにもいかない。」
「えぇ。ですから、ヴィレムの働きに期待致しましょう。」

 二人は、微笑み合った。

 
∴∵


 城のダイニングルームではなく、イルセの居室にイルセの分だけの食事が並べられている。ヴィレムはイルセの向かい側に座り、ワインを飲んでいる。
 東方の遠い国から伝わった書物に、野生の肉を食すと男子を授かると書いてあったため、それを読んだ日からヴィレムはイルセの食事にはその日に狩った鹿やウサギ雉などの肉を並べている。今日はアンドレーアから届いたウサギ肉を焼いた物だった。

「三ヶ月近く留守にするが、行くのは、一年先のことだから、君の出産が終わって落ち着いた頃になる。」

 イルセは、ヴィレムに咎められない様に背筋を伸ばし、一口が小さくなる様に肉を切った。男爵令嬢として実家でも十分に所作の教育を受けてきたつもりだったが、ヴィレムの目には十分なものには見えないらしく、食事の度に様々な事を咎められた。今でも食事の味など分からないほど、ヴィレムとの食事は緊張する。
 イルセは、フォークとナイフを置き、
 
「ヴィレム様。もし、私が男児を産んだならば、その外遊に私をお供させて下さいますか?」

 期待のこもった屈託のない笑みを浮かべるイルセの思わぬ問いかけに、ヴィレムは一瞬止まった。
 そして、優しく笑う。

「それは、やめておいた方が良いだろう。あちらには国王夫妻の招待で行くことになる、国賓だ。あちらで対応してくれるのも、公爵家や侯爵家が中心だろう。君は今までそのような高位貴族と言葉を交える様な経験が少ないだろう?君にその役は荷が重すぎるだろう。」

 イルセはヴィレムのあまりにも優しい顔にそれ以上何も言えなくなってしまった。

「君は、家庭内のことは気にしなくて良い。それはユリアーナの仕事だからね。そんなことより、君は我が家の跡取りを無事に産んでさえくれればそれで良い。」
「はい。わかりました。」
「それじゃ、ちゃんと肉も食べたし私は書斎へ行くとする。睡眠も十分に取るようにね。寝不足はお腹の子に良くないから。」

 イルセが、立ち上がり礼をすると、ヴィレムは静かに部屋を出て行った。
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