薄氷の城

第 19話 謎

 ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンは、我が国の北西にあり、大陸を東西に走る千四百三十㎞もの長い山脈で隔てられている。
 現国王はレオナール・エイクロン、五十九歳。近隣諸国の王では一番若いが、国の歴史は一番古く、彼が七十四代目の国王。
 我が国、エパナスターシは、このゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンの王子だったヤンが大公国として独立宣言した事が始まりとなり、時を経てエパナスターシ王国となった。
 エパナスターシとプリズマーティッシュの縁はとても深いものだったが、王国として立国した頃を境にいつの間にか国交は途絶え今に至る。今では、プリズマーティッシュの詳しい情報が入ることはない。

「最近の情報が入ってこないのは分かるのだけれど、大昔の事まで微妙に抜け落ちている気がするのはどうしてかしら。」
「プリズマーティッシュに詳しい先生は何も言わないのですか?」

 ハーブティーを淹れながら、ボーは聞く。

「えぇ。聞いてみたのだけれど、大戦中の混乱にあって、細かく伝承されていないって事らしいのだけれど。フェルバーン家はエパナスターシ大公の末裔で、深い縁があるはずなのに我が家にすら戦乱期前の二百年ほどの記録が曖昧なのよね。これもちょうど世界大戦の頃。この頃にこの国が王国として立国したのは分かるのだけど。…まぁ、そんな昔の事、会話にも出てはこないと思うけれど。その頃を切っ掛けにプリズマーティッシュとの国交がなくなったみたいで、少し気になってしまったの。」

 ユリアーナは、何か思い巡らせていた。

「元から、世界大戦のことは何故こんなにも曖昧なのだろうと思っていたのだけど、その頃を境に国交を断絶したと言う事ならば、世界大戦は同君国からの独立をかけて争ったのかしら?ならば、初代の王が独立王としてもう少し英雄視されてもいいと思うのよね。国民に大きな犠牲が出たとは書いてあるけれど、この国が戦地になったような記載はないし。どんな経緯で、戦争に至ったのかは書かれていないの。ただ、エシタリシテソージャと滅亡したアルドマルジザットとエパナスターシの三カ国が争っていたことは、はっきりしているのだけど。」
「旦那様にご相談してみては?」
「えぇ、少し聞いてみたのだけど、歴史のことよりも、王妃陛下とその娘たちの情報を頭に入れておく様に言われたわ。」
「そうでしたか。」
「レオナール国王のお子様たちは、私たちと年が変らないそうだから、外遊中は王女殿下たちとお茶会などの予定があるらしいの。」


∴∵


 フェルカイク家は最初、エパナスターシの子爵家の一つでしかなかったが、世界大戦時に知将として名を馳せ、司令官に戦力指揮の助力をし、戦乱期には参謀にまで上り詰め、その功績が認められ辺境伯を叙爵した。現当主のマルセルも国家騎士団の団長を務めている。しかし、その嫡子ピーテルはそんな勇壮無比な祖先たちの対極にあるような、優柔不断で消極的な青年になった。

「何故、そんなにプリズマーティッシュへ行くのが嫌なのですか?」

 第三子を妊娠中のアルベルティナは、最近目立ち始めたお腹を無意識に撫でる。
 
「別に、嫌な訳ではないが…。」

 ピーテルの表情は、何かを隠している。
 
「幼なじみのヴィレム殿下も行かれるのでしょう?」
「あぁ。」
「昔は、ヴィレム殿下やトーマス様とはいつでも一緒にいたでしょう?今回も行けば楽しめるのでは?仕事とは言え、少し自由時間もあるのでしょうし。」
「ヴィレム様とは立場が違って…」
「立場の違いなんて今に始まった事ではないでしょう?」

 アルベルティナは小ぶりなボウルいっぱいに入っていた山羊のヨーグルトの最後の一口を食べて、すっきりしない表情のピーテルに軽くため息を漏らした。妊娠してから無性に山羊のヨーグルトが食べたくなり、今日三杯目のヨーグルトに手を付ける。

「私の生家マッティスにしても、フェルカイクにしても、王家に多少の申し出は出来る立場にございますから、旦那様がそんなにも気乗りしないのなら、無理に外遊にお供する事もないと思いますが…。王太子殿下も行かれるのでしょう?今回の行啓にお供をせず、不忠誠とみなされ、殿下が王に即位されてから閑職に回されても良いのなら…ですけれど。」
「行かないとは…言っていない。」
「何かあるのですか?最近は、ヴィレム殿下ともトーマス様ともご一緒なさっていない様子ですけれど。」
「…いいや。ただ、子どものままではいられなかった、ただそれだけなんだ。その事に自分の気持が追いつかなくて。」
「そうですか、お二人とは本当に仲がよろしかったですものね。私は、ゆっくり考えればよろしいと思いますわ。」

 アルベルティナは、優しく微笑んだ。


∴∵
 

 アンナは大きくなったお腹をもて余しているように、ゆっくりと椅子に座った。

「そんなにヘンドリカ様はお体が良くないの?」

 フリッツはアンナの足をオットマンに乗せて、向かいに座ると足を軽くもみ始めた。
 
「兄は詳しくは話さないけどね。義姉上(あねうえ)から目が離せなくなったら、代わりにプリズマーティシュへ行って欲しいと前もって言うくらいなんだ、あまり芳しくないのだろう。」
「どこがお悪いのかしら。父が腕の良い医師の伝手があるから何かの時は言ってね、父へお願いするから。」
「兄が私にも詳しく話さないと言う事は、あまり知られたくないのかもしれないね。でも、兄が何か言ってきたらその時は頼むかもしれない。それまではそっとしておこう。」
「そうね。良くなればよろしいけれど。でも…もし、プリズマーティッシュへ旦那様が行く事になったら、私も同行するのでしょう?」

 アンナの逆側の足を持ち、オットマンに乗せる。

「そうだね。あちらでは王女殿下などが茶会を催す予定らしいからそれに出席してもらうことになると思うよ。」
「ならば、ユリアーナと一緒に行けるのよね?」
「アンナは本当に義姉上が好きなんだね。」

 アンナはニッコリと笑った。

「ユリアーナと他国へ行ったら、ユリアーナにはその国がどう映るのかその場で聞けるでしょう?同じ景色を見て互いにどう思うかを話し合えるもの。そんな楽しみなことはないわ。それに、ユリアーナはもっと沢山の世界を知るべきだと思うんだもの。私が行けなかったとしても、土産話を聞くのが今から楽しみだわ。」
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