薄氷の城

第 3 話 祝いの言葉

 十一月、ユリアーナの十六歳の誕生日会が行われた。毎年ユリアーナの誕生日パーティーは彼女の幼少期からの友人数名と家族だけの小規模なものだ。
 エパナスターシの王都エクスポーリの冬はそれほど寒くはならないが雨が多く曇りがちなため、アンナの時のようにガーデンパーティーではなく、フェルバーン家の別館のサロンで行われる事も恒例だった。
 何代も前の当主の妻として降嫁してきた王女が隠居の為に建てさせたこの棟は王城のような凝った作りで、廊下一つでも毎度、参加者の目を楽しませる。
 通されたサロンで友人たちが話していると、コンスタンティンに伴われたユリアーナが入って来た。トップがレースとチュールを組み合わせた深いVネックのデザインで、柔らかそうなチュールスカートにはシクラメンのモチーフが刺繍されている。ベージュグレーの落ち着いた色合いは誕生日の主役としては地味にも思えるが、ユリアーナには肌の色にも瞳の色にも良く似合っていた。

「ユリアーナ、お招きありがとう。」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。」

 一番の親友、マリア・ゼーマンはユリアーナに駆寄り挨拶する。ユリアーナは親愛を込めて彼女にハグをした。

「皆さん、今日はお越し頂いてありがとうございます。初めに、少しご報告があります。」

 そう言うと、ユリアーナは隣のコンスタンティンを見上げ、微笑んだ。

「私、コンスタンティン・エイクマンはユリアーナ・フェルバーンと来年の春に婚約する運びになりました。先だって、アンナ・フェルバーンと許嫁の関係を解消したばかりで、驚かれる方も多いと思いますが、私たち二人のこれからを温かく見守って頂ければと思います。」
「私の大切な人たちが集まるこの場で、まずはお話したいと思い、お時間を頂きました。皆様、心ばかりのお料理ですがお楽しみになって下さいますと幸いです。」

 ユリアーナとコンスタンティンの報告に、祝いの言葉が溢れる。アンナはその輪の中からユリアーナに近づいた。
 
「ユリアーナお誕生日おめでとう。心から二人の幸せを祈ってる。」

 アンナは、ユリアーナとコンスタンティンにハグをした。

「アンナ、本当にありがとう。こんなに嬉しくて幸せな誕生日はないわ。」


 
∴∵ 秋が終わり、冬が来て、春になった ∴∵


 エパナスターシでは冬が終わり、貴族たちが領地から王都へ戻ってくると本格的な社交シーズンが始まる。その合図として、五月の始まりにまず王妃陛下主催の舞踏会が行われる。
 この春一番の舞踏会で適齢期になった若者(男子は十四歳前後、女子は十六歳前後)は社交界デビューをする事が慣例になっている。そして、それを機に成人とみなされ婚約や結婚が出来る。
 今年その舞踏会で、フェルバーン家のユリアーナが社交界デビューを果たすことは貴族間では一年ほど前から話題になっていた。
 深窓の令嬢、ユリアーナの姿を見たことがあるのはごく限られた人だけ。それなのに彼女がどれほどに才知に優れ、美しい少女であるかは知れ渡っている。
 同じ社交界デビューの時に彫刻美を象徴したような美少年と称されたエルンストと、艶やかでバラの花より香り立つような美少女と言われていたゾフィーの血を引くその姿を一目見たいと胸を膨らませているのは、同年代だけではなく、親世代も同じだった。
 公になっている許嫁もないユリアーナが誰のエスコートを受けるのかはずっと話題の中心で、何人かは無謀にもエスコート役を申し出て断わられたなんて事も広まっていた。結局のところ父親のエルンストだろうと言うのが大方の予測だった。

 舞踏会当日、王の居城であるイペロホス城のエントランスは、この日デビューする若者たちのために、生き生きとした春の花々で飾られていた。
 そこに入ってきたユリアーナの姿に誰もが目を留めた。
 瞳の色に良く似合う、上品で落ち着いたトーンのブルーグリーン色のドレスには、刺繍やレースが繊細にそして豊富に施されている。綺麗に結い上げられた髪にはフェルバーン家に代々受け継がれている大きなブルームーンストーンが付いたティアラが飾られている。
 エルンストとゾフィーの良いところだけを上手く受け継いだ、まるで絵画から出てきたような美少女に誰もがため息をもらす。あるご夫人などは、あの美しさでは、神までもが彼女に惚れてしまい、早々に天の国へ召し上げようとするのではと言い出す始末だった。
 そんな人々が目を疑ったのは彼女のエスコート役だった。ユリアーナの妹アンナの許嫁だと思われていたコンスタンティン・エイクマンが彼女に寄り添い笑顔を向けていたからだ。その姿を誰もが声もかけられず見守っていた。
 しかも、ユリアーナの手にはめられたショートグローブにはエイクマン家の紋章が施されている。
 この紋章付きのグローブは、男性から女性へ贈ると “君の素肌は誰にも触らせない、君以外の素肌を触らない”と言う意味があり、許嫁や婚約者に贈る習わしがこの辺りの国で古くからあった。しかし、束縛される意味合いの強いこの習慣は男性から敬遠され最近ではほぼなくなっていた。それが、少し前に隣国の国王が王妃への求婚に自分の紋章を付けたグローブを送った事で、隣国の若い世代にこの習慣が再燃し、近隣諸国までその流行が広まってきていた。

「まさか、あの二人が。」
「エイクマン家は、伯爵家としては十分に権威のある家門だが、フェルバーン家の第一子が相手と考えると、フェルバーン家からしたら些かだが格下との結婚となるな。エイクマン家の第一子、コンスタンティンとフェルバーン家の末娘との結婚ならば同格と言えなくもないが。」
「しかし、幾度か話したことがあるが、コンスタンティンは若いが出来た人間だ。内務長官のお父上の助けになれるようにと、財務や法務の勉強はもちろん、最近は国防の勉強に励んでいると聞く。」
「あぁ。私も彼の評判は聞いているよ。まぁ、なんだ。お似合いの二人じゃないか。私の倅なんぞ相手にもならんな。」

 口ひげを貯えた初老の男は、古くからの友人に笑って話した。
 人々が二人を遠巻きに見ている間に、舞踏会が始まり、最初の一曲が流れ出した。ユリアーナとコンスタンティンは互いに一礼して踊り始めた。
 人々はそんな二人に見入って、感嘆のため息を吐いた。

 三曲ほどが続けて流れた後、来賓や今日デビューの若者たちが順番に王妃の元に呼ばれる。ユリアーナとコンスタンティンは四番目、デビュタントとしては一番目に呼ばれることになった。

「ユリアーナ、顔を上げて良く見せてちょうだい。」

 ユリアーナは礼の姿勢から体勢を戻して少し顔を上げた。

「王妃陛下におかれましては、」
「ユリアーナ。型通りの挨拶は不要です。あなたの母上ゾフィーは娘のいなかった私にとって、本当の娘のよう。そしてあなたのことは孫のように思っているの。だから、久し振りに会えたのだし顔を良く見せてちょうだい。フェルバーン伯にはあなたを城に呼んでお茶でもと何度もお願いしているのだけど、世間を憚ってか、願いを叶えられず悲しく思っていたのよ。」
「恐縮の至りでございます。」

 王妃ルーセの両脇にはこの王妃が産んだ、王太子のマウリッツとその妃のアンドレーア、第二王子のカレル・ケッセルス公爵、夫人のサンドラが座っている。

「コンスタンティン。貴方のデビューの時は母上に伴われて少し心許ない印象でしたけれど、今日の貴方はユリアーナの華やかな瑞々しさに劣らない、凛々しい姿。貴方の優秀さは私の所へも届いています。貴方の成長が本当に嬉しいわ。」
「お褒めの言葉、大変嬉しく存じます。」
「ユリアーナのことは孫娘にしてしまいたいほど可愛いけれど、貴方という立派なパートナーを得たことは嬉しく思います。少し早いけれど二人の婚約を心から祝います。」

 会場は騒然とした。通常ならば婚約式などをしてから次の舞踏会で謁見し祝いの言葉をもらうものだが、婚約式で公に宣言する前に、このような形で婚約を発表するのは極めて異例の事だった。
 しかも、王妃がこの様な場で祝いの言葉を発したと言う事は、二人の結婚には王家の後ろ盾があると言う事。この縁組みには誰も文句を言うなと王妃が知らしめたのだ。

「陛下のお言葉、心より感謝致します。」
「大変温かいお言葉に感謝申し上げます。」

 二人は恭しく礼をして、その場を後にした。
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