早河シリーズ第三幕【堕天使】
 俊哉が喫煙所を出ていくと、相澤は閉じられた扉に向けて一言囁いた。

『気のせいではないと思いますけどね』

彼は笑った。何が可笑しいのか相澤自身にもわからない。
この気分は子供の頃に新しいオモチャを手に入れた時の高揚感と似ている。

 相澤にとって莉央は珍しいオモチャだ。莉央への愛はない。あるのは支配欲。
莉央はどれだけ相澤が支配しようとしても屈しない。

どれだけ甘い言葉を囁いても、腕の中に抱いてもキスをしても、相澤と一緒にいる時の莉央は感情のない綺麗なビスクドール。

 莉央が感情を露わにしたのは兄の俊哉を見つめる時だけ。俊哉を恋しそうに見つめる莉央の目が相澤は忘れられない。
彼女はあの目で、いつも俊哉を求めている。

(キングから仕入れた例の薬を今夜使ってみよう)

 あの綺麗な人形が淫らに壊れていく瞬間を見てみたい。さぞかしゾクゾクする光景だろう。

 その夜に相澤の計画は実行された。会食後に相澤は莉央を独り暮らし先のマンションに連れて帰った。

 都心の一等地に建つ高層マンションの最上階が相澤の部屋だ。黒色のソファーに相澤と並んで酒を飲んでいた莉央は、身体にいつもとは違う感覚を味わっていた。

普段のアルコールを摂取した時とは違う、ふわふわとした気分。頭がくらくらした。

『ねぇ莉央。今日、お兄さんのことずっと見ていたよね?』
「……え?」

 ぼうっとする頭の片隅に相澤の声が響く。相澤は片手に持つグラスのピンク色の液体を眺めていた。

莉央のグラスに入るスパークリングワインには相澤がキングから手に入れた中東の媚薬が混ぜてある。淡いオレンジ色の無味無臭の粉末はスパークリングワインのピンク色にしっかり溶け込んでいた。

 キングの話では、中東で製造されたこの媚薬を処女の花嫁に飲ませることがあちらの大陸では流行っているそうだ。
どんな人間でも快楽を求めてしまう魔法の薬。この薬はまさに禁断の果実。

『恋しそうにじっとお兄さんを見ていた。あれは恋する女の顔だ』
「何を……言っているの?」

 上手く回らない思考の中で莉央は必死に言葉を探す。
相澤に見られていた? 気付かれていた?
どうすればいい? どう切り返せばいい?

『莉央の初めての相手は俊哉さんかな?』

 近付いてくる相澤の顔がぐらぐら歪んで見える。キスをされて、胸に触れられ、それだけで莉央の身体は熱く反応した。

『君が俊哉さんのモノでもそうじゃなくても君が僕に服従さえしてくれたらなんでもいいけどね。暑そうだね。服を脱ごう』

相澤に服を脱がされていく。相澤の指が肌に触れる感触が気持ちいい。

(この人はどうして私とお兄さんのことを……)

かろうじて残る莉央の理性が何かがおかしいと告げている。飲み物の中に薬のようなものを入れられた可能性も考えた。
だが思考はそこでストップし、そこから先は何も考えられなくなる。

 何もわからない、何も考えられない。

莉央が唯一覚えていることは、その夜の相澤が満足げに笑っていたこと。
その妖しげな笑みが莉央の脳裏からいつまでも消えずにいた。
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