早河シリーズ第三幕【堕天使】
庭の桜も葉桜となりつつある。キングはテラスのガーデンチェアーに腰掛けて夜桜を見物しながらクリップで留められた書類の束をめくった。
その紙の束は部下に命じて調べさせた相澤直輝の婚約者に関する資料だ。
桜の花びらがひらひらとキングの足元に舞い落ちる。彼は資料に添えられた莉央の写真を手にとった。
あの相澤直輝が躍起になって服従させようとしているこの美しい少女は、哀しげな瞳の色をしていた。
『寺沢莉央。面白い』
音を立てて吹きすさぶ風に枝を揺らす桜の木。暗い空を彩るのは、妖しげな色を宿した欠けた月。
春の夜にひっそりと蠢く闇が都会の街を覆い隠す。
サイレンを鳴らしたパトカーが六本木の高層マンションの前で停車した。パトカーの到着に通行人や近隣の住民達は何が起きたのかと足を止めて、パトカーから降りてくる警察官を眺めている。
警視庁捜査一課刑事の香道秋彦はマンションのエントランスに入った。急いでいる時には滑って転んでしまいそうな、ツルツルとした艶のある床を歩いてエレベーターに乗り込む。
『はぁー。こんなマンション家賃いくらぐらいするんでしょう』
『単身者用の部屋でも月二十万はかかるだろうな。ガイシャは大学生って聞いたが、イイトコのお坊っちゃまらしい。学生でこんな高いマンションに住めるなんて優雅なものだ』
先輩刑事の岩瀬に尋ねると岩瀬刑事は口元を斜めにして笑った。
エレベーターが指定の階に到着して香道は現場の部屋に入った。入った途端に血なまぐさい臭いが香道の鼻腔をかすめる。
長い廊下の奥の扉は開け放たれている。鑑識と捜査員で混雑している室内には二人の死体が転がっていた。
ひとりはここの家主の男子大学生、もうひとりは彼の恋人と思われる若い女。女の腹部からは血が流れ、毛足の長い絨毯が血を吸い込んでいた。
返り血を浴びている男は包丁を握ったまま息絶えている。
『これ、どういう状況なんですかね?』
現場の状況に香道も岩瀬も困惑していた。腹部を刺された女と包丁を握って絶命している男、どちらも全裸だった。
ソファーの下には二人の衣服が散らばっている。
『考えるとすればイチャイチャ真っ最中に喧嘩になって男が女を刺したってところか』
『それはずいぶん派手な喧嘩ですね……』
岩瀬の見解に一応は頷いて、香道は男の傍らに屈む。監察医が男の片腕を上げて香道に見せた。
『何かのクスリをやっていたようです。真新しい注射跡があります。こちらは目立った外傷はなく、死因は急性薬物中毒ではないかと』
監察医の判断を証明するように、鑑識の人間が部屋から注射器を発見したと報告が来た。
『クスリって覚醒剤ですか?』
『解剖してみないとわかりませんが、覚醒剤の類いではありませんね』
監察医の所見を聞いた香道は二つの死体に黙礼して隣の部屋に入った。二人が倒れていたのはリビング、香道が向かった先は家主の大学生の寝室だ。
その紙の束は部下に命じて調べさせた相澤直輝の婚約者に関する資料だ。
桜の花びらがひらひらとキングの足元に舞い落ちる。彼は資料に添えられた莉央の写真を手にとった。
あの相澤直輝が躍起になって服従させようとしているこの美しい少女は、哀しげな瞳の色をしていた。
『寺沢莉央。面白い』
音を立てて吹きすさぶ風に枝を揺らす桜の木。暗い空を彩るのは、妖しげな色を宿した欠けた月。
春の夜にひっそりと蠢く闇が都会の街を覆い隠す。
サイレンを鳴らしたパトカーが六本木の高層マンションの前で停車した。パトカーの到着に通行人や近隣の住民達は何が起きたのかと足を止めて、パトカーから降りてくる警察官を眺めている。
警視庁捜査一課刑事の香道秋彦はマンションのエントランスに入った。急いでいる時には滑って転んでしまいそうな、ツルツルとした艶のある床を歩いてエレベーターに乗り込む。
『はぁー。こんなマンション家賃いくらぐらいするんでしょう』
『単身者用の部屋でも月二十万はかかるだろうな。ガイシャは大学生って聞いたが、イイトコのお坊っちゃまらしい。学生でこんな高いマンションに住めるなんて優雅なものだ』
先輩刑事の岩瀬に尋ねると岩瀬刑事は口元を斜めにして笑った。
エレベーターが指定の階に到着して香道は現場の部屋に入った。入った途端に血なまぐさい臭いが香道の鼻腔をかすめる。
長い廊下の奥の扉は開け放たれている。鑑識と捜査員で混雑している室内には二人の死体が転がっていた。
ひとりはここの家主の男子大学生、もうひとりは彼の恋人と思われる若い女。女の腹部からは血が流れ、毛足の長い絨毯が血を吸い込んでいた。
返り血を浴びている男は包丁を握ったまま息絶えている。
『これ、どういう状況なんですかね?』
現場の状況に香道も岩瀬も困惑していた。腹部を刺された女と包丁を握って絶命している男、どちらも全裸だった。
ソファーの下には二人の衣服が散らばっている。
『考えるとすればイチャイチャ真っ最中に喧嘩になって男が女を刺したってところか』
『それはずいぶん派手な喧嘩ですね……』
岩瀬の見解に一応は頷いて、香道は男の傍らに屈む。監察医が男の片腕を上げて香道に見せた。
『何かのクスリをやっていたようです。真新しい注射跡があります。こちらは目立った外傷はなく、死因は急性薬物中毒ではないかと』
監察医の判断を証明するように、鑑識の人間が部屋から注射器を発見したと報告が来た。
『クスリって覚醒剤ですか?』
『解剖してみないとわかりませんが、覚醒剤の類いではありませんね』
監察医の所見を聞いた香道は二つの死体に黙礼して隣の部屋に入った。二人が倒れていたのはリビング、香道が向かった先は家主の大学生の寝室だ。