無愛想な天才外科医と最高難度の身代わり婚～甘く豹変した旦那様に捕まりました～【職業男子×溺愛大逆転シリーズ】

蜘蛛の糸

　任務を終えた由惟は、ホテルの衣装室に戻ってスタッフにされるがまま振袖を脱いだ。
　一枚一枚自分の体から布地を剥かれていくたびに、現実へ引き戻されていく。
　穂乃花として纏っていた煌びやかさはみるみるうちに失われ、最後に鏡の前に残ったのは、量販店で買った格安の白Tシャツと黒のズボンを身につけた、いつもの奥村由惟の姿だった。華やかさとはかけ離れた、地味で目立たない自分。落胆するのは間違っている。これが本来の自分の姿なのだから。

　由惟が家に帰ったのは、夜の六時頃。本来ならお昼前には帰るつもりだったのに、日はとっぷり暮れてしまっている。

（なんて言われるだろう……）

　住宅街の中の年季が入った一軒家。玄関のドアノブを掴む由惟の手は、かすかに震えていた。

　仕事以外でこんなに長い時間外出したことは今までなかった。昼食も夕食も作れていない。休みの日は一日に三回はする家中の掃除も、今日は朝の一回しかできていない。

　＂あの人＂が怒り狂うさまが目に浮かぶ。このドアを開けたくない。このまま逃げ出してしまいたい。
　でも、置いていけない大切なものもこの家にはある。

　覚悟を決めて、ドアを開けた。
　すると間髪入れずに家の奥からドタドタと足音が聞こえてきて、由惟は泣きたくなった。

「あんた！！こんな時間までどこに行ってたんだい！！」

　脳すら揺さぶるような凄まじい喚声が玄関に響き渡り、由惟は体を縮こめた。
　次いで乾いた音がして、同時に肩に激痛が走る。一瞬、何が起こったのか分からなかった。恐らく何かで叩かれたんだろう。叩かれた肩はジンジンと熱を持ち、激しく痛み出した。

　苦悶の表情を隠しきれないまま顔を上げると、この家の奥方である横井静子が靴べらを片手に鬼の形相で由惟を睨みつけていた。