無愛想な天才外科医と最高難度の身代わり婚～甘く豹変した旦那様に捕まりました～【職業男子×溺愛大逆転シリーズ】

　横井の手の感触が、まだ体にべっとりと残っていて気持ち悪い。全身が総毛立っている。

　なんてことはない、いつものことだ。そう言い聞かせて乱れた呼吸を整えようとする。
　いつものこと、いつものこと――そうやって十年間、理不尽に耐え続けてきた。だって仕方ない。交通事故で両親がいっぺんに亡くなり、親戚もいなかった高校生の由惟が頼れた大人は、横井たちしかいなかったのだから。

　横井は、父の幼馴染であり、父が勤めていた横井医科工業の社長でもあった。由惟の両親が交通事故に巻き込まれたと聞くやいなや、病院に駆けつけてくれ、両親の葬儀や諸々の手続きを引き受けてくれたのだ。

『由惟ちゃんは親戚もいないんだろう？よかったらうちに来ないかい？』

　孤独に押しつぶされそうになっていた由惟には、涙が出るほど嬉しい言葉だった。その言葉に裏があるなんて思いもしなかった。

　横井家で、由惟が笑顔でいられたのはたった一ヶ月だけ。由惟の両親の遺産が微々たるものであることを知ると、横井たちはたちまちその態度を翻した。

　血縁がないからこそ、躊躇いもない。静子は怒りの捌け口として、横井はよこしまな欲望をぶつける対象として、彼らはサンドバッグにするように由惟をいたぶり続けた。

　心が麻痺して痛みを感じにくくなった今と比べ、初めの頃は毎日泣き暮らしていた。何の悩みもなさそうな幸せな同級生を見て、どうして自分だけが泥水を啜って生きているんだろうと絶望した回数は計り知れない。

「でも、やっと抜け出せる……」

　何年も使っているせいで、くたびれてボロボロになったバッグをギュッと抱きしめた。中にはみどりからもらった五十万円が入っている。このお金があれば、やっとこの家から出て行ける。
　
　決意を固めていると、階下から静子の怒鳴り声が聞こえてきた。由惟は荷物を置くと、すぐさま部屋を出たのだった。