早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 彼と図書館の玄関前で別れた美月は遠ざかる松田の背中を眺めて溜息をつく。自己嫌悪で自分を嫌いになりそうだった。

 彼氏がいるのに他の男に告白されて気持ちが揺らいでいる。告白してくれた松田を意識してしまっている。

以前の自分なら、同じ事が起きても絶対に揺らがなかった。隼人と別れて他の男と付き合うなんて考えもしなかった。
もし、隼人以上の人がいるとしたらそれはたったひとり……。

「……佐藤さん」

小さな声で呟いた愛した人の名前。彼はこの世にはいない。死んでしまった人にはもう会えない。

 美月は肩にかけたバッグの持ち手を握りしめた。
時々、不安になる。最近の隼人は前とは違う表情をしていて何を考えているのかわからない。話していても、上の空。

(隼人はきっと、あのリオって人のこと考えてる)

 隼人から寺沢莉央の話を聞かされた時から抱き始めた感情は汚泥のように溜まる一方。

美月を助けるために探偵に依頼しろと助言し、瀕死を負った隼人の怪我を止血して警察に通報した女。彼女の正体は犯罪組織カオスのクイーン、寺沢莉央。

モヤモヤとした感情に支配されて涙が溢れた。

『そんなところで何やってんの? 日焼けするよ?』

 頭上から聞こえた優しい声に顔を上げた。夏の太陽に照らされて逆光となった松田の姿が目の前にある。

「先輩、帰ったんじゃ……」
『後ろ振り向いたら浅丘さんがぼぉーっと突っ立ってるから。泣いてるし、心配になって』

松田の温かい優しさにまた涙が流れてきた。溢れる涙を止める術が見つからない。松田は苦笑いして、美月にハンカチを差し出した。

『俺が泣かせてるみたいだなぁ。どうしよう』
「ごめんなさい、えっと、すぐに涙引っ込めます……から……」
『いいよいいよ。泣きたいだけ泣けばいい』

 松田のハンカチに涙で落ちたマスカラが付着した。洗ってアイロンをかけて返さないと……と、頭の片隅で思えるくらいには少しだけ、心に余裕が生まれた。

『この後のご予定は?』
「特には……」
『じゃあ準備手伝ってくれるかな?』
「準備って夏休みのイベントのですか?」

彼から水族館のパンフレットを渡された。

『そう。今日は下見と水族館側との軽い打ち合わせ程度なんだけど、下見しながらアイデア練ろうと思って。浅丘さんにも知恵を絞ってもらえると助かる』
「水族館に行けるんですよね?」
『水族館デートの相手が俺でよければ、ね』

 ポンポンと松田に頭を撫でられてホッとする。心に溜まる黒い感情が溶けていくようだった。
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