早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
『行きましょう』

 佐藤に促されて公園を後にする。帰りは傘を差すのも忘れていた莉央の頭上を佐藤の傘が覆った。
車に乗り込んだ瞬間に押し寄せた疲労。息つく間もなく、車が動いた。

「あなたもお人好しよね。木村隼人は恋敵でしょう?」
『美月の側には木村隼人が必要です。彼に生きていてもらわないと俺が困ります』

隼人を助ける為の協力を佐藤は嫌がりもせず引き受けた。すべて浅丘美月の為だ。

「助かるといいんだけど……」
『あの男は死にません。そう信じましょう』

佐藤も隼人を信じているのだろう。止まないこの雨は神の嘆き? 怒り? 悲しみ?

「煙草、持ってる?」
『珍しいですね』
「吸いたい気分なの」

 佐藤は自分の煙草とライターを片手で掴み、後部座席にいる莉央に渡した。赤いパッケージをした箱から一本抜き取って、佐藤のライターで火を点す。

「人を愛するって不思議よね。人を愛すると強くなったり、弱くなったり。嫉妬したり独占したり、自分が自分でなくなるみたいに壊れていく」

煙草の煙が細く開けた窓から流れる。パトカーと救急車のサイレンが聴こえた。反対車線で二台のパトカーと一台の救急車とすれ違う。

「あなたは壊れるまで愛したの?」
『……そうですね。壊れるまで愛したのかもしれません』
「それは片桐彩乃と浅丘美月、どちらを壊れるまで愛したの?」
『さぁ……。どちらだったんでしょうか。どちらも、なんて答えは贅沢ですよね』

 莉央から返された煙草を佐藤も咥える。また警察車両とすれ違ったが、車が速度を変えることはない。

不審な動きをすれば怪しまれるだけ。こうして制限速度内で走っていれば警察の目に留まることはない。

 口紅がついた煙草を挟む莉央の指からはまだかすかに血の匂いがしていた。煙草を口元に持っていくたびに鼻に届くあの人の匂いに心が痛くなる。
この甘い痛みの正体を莉央は知っていた。

「また会いたいって思うのはいけないこと?」
『思うだけなら自由ではないでしょうか』
「……そうね」

 隼人の血の匂いを薫らせて、彼女はふうっと紫煙を吐いた。
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