薬師見習いの恋
 イノシシは臆病だが、興奮状態になると人に向かって突進してくることがある。はね飛ばされたら大ケガだし、イノシシの牙は人間の太腿くらいの位置にあって、それが刺さったらやはり大ケガだ。

 しかも、そのイノシシは通常よりも大きく見えた。普通は体高が五十から八十センチほどだが、その個体は二メートルほどの大きさがある。額には角があり、背中にも大きなとげがひとつ生えている。そんなイノシシは見たことがない。もしかしたら魔獣の一種かもしれない。

 怯えながら気配を消し、イノシシが通り過ぎるのを待つ。
 ふと目を向けるとミントが茂っているのが見えた。ミントには魔除けの効果があるという。そっとむしって体にこすりつける。においを嫌ってどこかへ行ってしまいますように、と祈りながら。

 一通りこすりつけたあとは息をひそめてじっと待つ。
 ふがふが、ふごふご。
 少しずつ鼻息が遠ざかり足音も消えたあと、マリーベルはかごを掴んでがくがくと歩き出した。

 やがて早足になり、駆け足になり、道なき道を必死に走る。
 森を出るころには完全に息が切れ、横腹が痛くて倒れ込むように座り込んだ。

 すでに日は傾き、太陽が空も森もどこもかしこも赤く染めて燃えているみたいだった。
 マリーベルはかごを見て、口元に笑みを浮かべる。

「ふふ……あはは!」
 緊張から解き放たれた解放感からか、薬草を手に入れた達成感からか、自然と笑いが漏れた。

 魔獣らしき獣からは無事に逃げられたし、貴重な薬草を手に入れることができた。
 ロニーは喜んでくれるだろうか。

 ううん、きっと喜んでくれる。そして、自分にはあなたが必要だって言ってくれる。
 期待に胸を膨らませ、マリーベルは小走りにロニーの家に向かった。
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