低温を綴じて、なおさないで




絡む腕を振り払おうとしたところで、空間に転がり込んだ声。

俺が世界で一番よく聞いた声。世界で一番好きな声。




「栞、」




そういうのじゃ、ないから。言い訳したいのに案外言葉は出てこないらしい。




「森田真咲、さん」


「あ、栞先輩」




一応同じ高校の先輩後輩だ。先輩、なんて呼んでたのか。


面識があったなんて知らなかった。




「真咲さん、ごめんね。あなたを傷つけてしまったことは事実だと思う。でも今は違うから。わたしだって、直のこと取られたくないの」


「…………栞、」




強く言い切った栞になんの迷いもなくて、何を言えばいいのかわからなくなった情けない俺。それでも早く、栞を抱きしめたくて仕方なかった。


誰のものにもならないで。俺のものに、なんて言わないから、ただ、俺だけ見ていてほしい。




「直」と二文字が、きみに呼ばれるだけで宝物のようになる。心地良く落ち着いている、クリーム色のような声色。続けて栞は俺の目をまっすぐ見て、特権を投げ込んだ。愛おしさの灯る瞳に、吸い込まれそうだ。星を降らせるような魔法の合図。



電子に投げ込まれる“新着メッセージ 1件”が初めて栞のやさしい声音に乗せられた。




「今週の土曜、21時」






< 276 / 314 >

この作品をシェア

pagetop