Bravissima!ブラヴィッシマ【書籍化】
「あはは!ふわふわする。面白い」
「面白くない。ほら、やめとけ」
「えー、せっかく何か掴めた気がするのに。今弾かなきゃ忘れちゃう」

そう言って芽衣はピアノの前に座る。

「んーとね、これ!こんな気分」

そんな状態で弾けるのか?と思いながら聖が呆れていると、芽衣は軽く鍵盤に両手を走らせた。

遊ぶようにコロコロと音を転がしたあと、一呼吸おいて弾き始めたちょっと気だるそうな三拍子の曲。

(ビリー・ジョエルのピアノマンか。へえ、なかなかいい)

芽衣は酔いに身を任せるように、目を閉じて笑みを浮かべながら弾いている。

コンサートのヘアメイクのままの横顔は、いつもより大人びていて美しい。

歌と歌の間の洒落たメロディを弾きながら、ちょっと眉根を寄せた表情に、聖はドキッとした。

こんな芽衣は知らない。

醸し出す芽衣の雰囲気に、聖は次第に何も考えられなくなる。

芽衣はたっぷりと歌い上げ、ラストに向かってゴージャスに盛り上げると、ゆっくりと曲を終えた。

ぼんやりと目を開けて余韻に浸ってから、芽衣はふっと不敵な笑みを浮かべてまたピアノを弾き始める。

聖はハッとした。

ビゼー作曲 歌劇《カルメン》より「ハバネラ」

前回合わせてみた時とはまるで別人だった。

妖艶なオーラをまとい、大人の余裕を漂わせる芽衣から、聖は目が離せなくなる。

男を手のひらで転がすような悪女。

そうと分かっていても、その魅力に溺れたくなる。

それほどまでに男を惹きつける妖しい色気。

半音階で下りてくるメロディは、思考回路をおかしくする。

思わず手を伸ばし、強く抱きしめ、熱く口づけたくなるほどに。

やがて最後の音を弾き終えた芽衣が、チラリと聖に視線をよこした。

射抜かれたように、聖の全身をしびれが駆け抜ける。

「如月さん」
「……なんだ」
「今なら弾けるかな、ハバネラ」

アルコールのせいか、芽衣の口調は色っぽく、その眼差しは艶めいている。

「いや、やめておけ」
「どうして?試しに合わせてみて」

まるで、私とはつき合えないの?情けない男ね、と言われているような気がした。

(このままだといかん)

聖はゴクリと生唾を飲み込んで背を向ける。

「もう遅い。今日は疲れてるだろうし、早く休め」

そう言って歩き出そうとした時、立ち上がった芽衣がふらっとよろめいた。
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