Star Shurine Gardian ―星の大地にある秘宝の守護者―

鬼嫁と妖星疫(ようせいえき)

「ただいま」
 フォマルハウトは仕事を終えて自宅に帰ってきた。時刻は午後7時。これから夕食をとるのにちょうどよい時間である。が、妻のシャウラは開口一番
「遅いよ! 何していたのよ!!」
 と怒鳴った。……いや、そんなに遅くないと思うけど。終業が6時半だから、まっすぐ帰ってきて30分。別に寄り道もしていない。
 家では、ミアプラがわあわあと泣き叫んでいる。おむつが膨らんでいるのでもう変えた方がよいのだろう。おむつをとってついでに風呂に入れれば効率がいいが…まだ沸いていない。夕食はというと、ごはんとみそ汁だけでおかずはない。
――今日一日、何やっていたの?
 というのどまで出かかった言葉を、フォマルハウトは辛うじて飲み込んだ。いけない、この台詞は禁句である。娘が生まれたばかりの頃、家事が何も終わっていない日にこれを言ったらシャウラが大激怒し、1週間口をきいてもらえなかった。職場の先輩女性に言ったら、「それは言ったらマズイわよ」と言われ、「新生児の子育ては大変で、家事が思うように回らないものよ。そういう時は、何も言わず、代わりにあなたが家事をやるのが一番よ」とたしなめられた。
 その反省から、仕事を早く切り上げて、家にまっすぐに帰ると家事や子供の世話に励んでいる。が、シャウラはそれに感謝するより「もっと早く帰ってきて」「もっとこうしてほしい」など、要求が増えていっている。現在の家事は、朝食の準備、帰ってからの夕食の片付け、娘の風呂、寝かしつけなどだ。その間、シャウラは本を読んだりボーッとしたりしていることが多い。「一緒にやってくれ」と思うのだが、日中はシャウラ1人でやっているため疲れていると考え、あまり無理は言えない。
 仕方なく、フォマルハウトは風呂を沸かして、その間に多めによそったごはんとみそ汁をかき込んだ。

 妻と娘が寝静まった後、フォマルハウトはバルコニーに出て、1人でボーッとしていた。時刻は午前10時半、つい先ほど、2人の寝かしつけが終わったばかりである。なぜ「2人」かというと、妻の寝かしつけもしなければならないのだ。シャウラは不満が溜まると、寝しなにぶつぶつ文句をぶつけるという癖がある。先ほども「あなたはいつも気がきかない」「夕食におかず一品作るくらいできるでしょ」「私は日中、ひとりでがんばっているのにほめてよ……」と、1時間ほど文字通り愚痴をグチグチと言い続け、やっと寝落ちしたのだ。
 そっと寝室を出てバルコニーの椅子に座り、酒をグラスついでため息交じりに飲んでいる。この酒だって見つかったら大変である。シャウラはまだ授乳中なので飲めない。けっこう酒が好きな女性なので、夫だけ飲んでいるなんて知れたらもう――。
「これが家庭生活なのかな……」
 フォマルハウトはしんみりとつぶやく。結婚した頃のかわいいシャウラはどこに行ったのか。今では、毎日言葉のパンチでサンドバック状態なのである。――結婚を間違えたのか? とさえ思うようになった。が、かわいいミアプラの顔を思い浮かべると、シャウラがいたからこそ最愛の娘と巡り会えたわけなので、それは感謝しているし、結婚が間違いとは思いたくない。
 ――考えるのはもうやめよう。
 明日もまた、朝食作りから始まる。あまり夜更かしすると支障が出ると思い、グラスに残っていた酒を飲み干すと、布団に潜り込んだ。

 それからしばらくたった頃。星の大地に異変が起こった。突然、人々が咳き込んだり熱を出したりし始めたのである。最初は風邪かと思っていたが、どうも様子がおかしい。薬を服用しても一向に快方せず、それどころかこじらせて肺炎を起こし、亡くなる人も出てきた。重症化するのは主に高齢者で、子供や若年層はさほど影響がなかったのが、せめてもの救いだが……。この病気の蔓延は「妖星疫(ようせいえき)」と呼ばれるようになる。妖星とは彗星や流星のことで、夜空に見えると災害などが起きる不吉な前兆と言われていた。迷信じみているが、突然現れた疫病なので、この名前がおあつらえむきとなったのだ。
 最初は中つ都――オリオン座にあたる都市で罹患者が現れ、そこから東の都、蟹の目町、西の村まで広がるのに1カ月しかかからなかった。さらにその1週間後、北の町でも感染者が確認され、星の大地全体に蔓延することになった。
 得体の知れない疫病のため、さまざまな憶測が飛び交うようになる。「空気の感染だ」「いや、それならみんな病気になっている」「では水に病気が入っているのか?」「なぜ高齢者だけが重症化する?」――そんな話が広まり、民の不安はどんどん増していった。
 フォマルハウトが勤める城でも医官たちが大わらわとなっている。昼夜を問わず患者が運ばれ、そこから医官が感染するケースも出てきた。警備兵らは、不安にかられた民が暴動を起こさないよう見回りを強化した。そしてフォマルハウトたち広報の記者たちは、感染者の推移や感染時の状況などを記録し、妖星疫に関して取材するようになる。そのため、帰宅が九時前になることが増えていった。そしてこの現象は、フォマルハウト家にも影響を及ぼした。
 ある日、フォマルハウトが9時過ぎに「ただいま」と帰宅すると、居間には泣き叫ぶミアプラを抱えるシャウラが座り込んでいた。
「た、ただいま……」
 挨拶をするものの、シャウラは口をきかない。寝間着姿なので、風呂と夕食は済ませてあるようだ。しかし、シャウラは顔を見せることもなく、ミアプラと一緒に無言で寝室に入っていった。それも、ドアをバンッ、と勢いよく閉めるありさまだ。明らかに不機嫌である。
 ――一体何なんだよ。
 フォマルハウトはため息をついた。仕事で遅くなる日が続いているため、シャウラがワンオペでミアプラの世話をする時間が長くなっている。それが気に入らないのだろう。
 案の定、次の休日、シャウラは罵詈雑言をフォマルハウトにぶつけてきた。
「あなたはいいわよね、仕事している時間は子供の世話をしないで済むんだから!」「この病気の蔓延、なんとかしてよ! あなた城の役人なんでしょう!?」「肝心な時に役に立たないわね、役人なんてごみみたいに使えないヤツらばかりなんでしょ!!」
 聞くに耐えない暴言の数々だが、反論するとさらに言い返してくるので何もできない。まるで罵声の滝にうたれる修行僧だ――。そんなことを思いながら、最悪の休日を過ごした。他の役人は、どんな家庭生活なのだろうか? まあ、こんなひどい妻を持った人間はまずいないだろうけど……。これでは心身ともに休まらないなあ。
 さらに数日後、職場でも異変が起きた。といっても、直接関係のない医療部門である。
「聞いたか、アンタレスが退職するって」
「はあ!?」
 同僚からその情報を聞いたフォマルハウトは、目が点になった。将来を有望されている若手の医官の退職――それも、妖星疫が猛威をふるっている最中である。1人でも医官が必要なのに、この時期に退職とは……?
「何でも、実家の病院で親父さんが倒れて、跡を継がなければならなくなったらしい」
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