元使用人の公爵様は、不遇の伯爵令嬢を愛してやまない。
 それから一ヶ月ほど経ったある日、アンジェリカとクラウスは、二人で出かけていた。
 結婚式を挙げる教会に、最後の下見に来ていたのだ。
 ステンドグラスが美しい、純白の厳かな建物を前に、アンジェリカは挙式への気持ちを高めた。
 ウェディングドレスが出来上がり、参列者の招待も済み、いよいよ数日後に挙式が迫っていた。
 しかし……アンジェリカとクラウスの距離は、未だ縮まっていなかった。
 教会の下見が終わった二人は、前に停まっていた馬車に乗り込む。
 その時、先に乗ったクラウスがアンジェリカに手を差し出すが――。
 
「だ、大丈夫よ、一人で乗れるわ」

 そう言ってアンジェリカは目を逸らすと、ささっと一人で馬車の座席に乗ってしまう。
 クラウスは、アンジェリカに取ってもらえなかった手を眺め、ガクリと肩を落とした。

「……そうですか」

 小さく呟いて、アンジェリカの隣に腰を下ろすクラウス。
 すると、アンジェリカが窓の方へ身体を寄せる。
 まるでクラウスを避けるかのような動きに、彼はショックを受け、ますますしゅんとした。
 以前、ミレイユがブリオット家に来て以来、アンジェリカはずっとこんな感じだ。
 クラウスの中では、その時、ずいぶんアンジェリカとの距離が縮まった気がしたのだが。
 話しかけると目を逸らされてしまい、手を繋ごうとするとかわされる、近くに座ろうものなら今のように離れてしまうし、クラウスはもう、どうすればいいかわからなかった。
 この状況が、挙式が近づくごとに悪化している気がしたクラウスは、僕と結婚したくないのだろうかと、毎日悲しみに暮れていた。
 しかし、実際はそうではない。
 アンジェリカは隣に座る、クラウスの寂しげな横顔を盗み見た。
 ――はぁ……クラウス……今日も素敵だわ……。
 アンジェリカが心の中でそんなことを言っていようとは、クラウスには見当もつかない。
 アンジェリカはついに、クラウスへの想いを自覚したのだ。
 そして気づいた途端、変に意識してしまい、今まで普通にできていたことが、できなくなってしまった。
 そっけない態度を取るのは、単に恥ずかしいだけで、決してクラウスのことが嫌いになったわけではない。
 むしろ、とても進展している証拠だった。
 ――私、やっぱりクラウスのことが……。
 馬車に揺られながら、アンジェリカは思う。
 この胸のトキメキも、クラウスだけが眩しく見えるのも、触れられると身体が熱くなるのも……もはや、恋、としか言いようがなかった。
 ようやく自覚したなら、その気持ちをクラウスに伝えた方がいいと、アンジェリカも思っている。
 だが、十歳の乙女のような清純な彼女は、初恋をどのように扱っていいかわからなかった。
 どんな時に、どんな顔で、どんなふうに言えばいいのか、思い悩んだ。
 なんでもない時に言っても……なにかきっかけがあれば……挙式の後はどうだろう……。
 アンジェリカがいろんなことを考えている間にも、馬車は進んでゆく。
 そして建物や店が並ぶ、繁華街に差し掛かった時だった。
 その『きっかけ』――いや、引き金がやってきたのは。
 ――ガタッ!
 突如、馬車が音を立てて急停車した。
 その勢いでバランスを崩したアンジェリカを、クラウスがすかさず支える。
 瞬間、クラウスの胸に収まるようになったアンジェリカは、胸がドキンと高鳴った。
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