早河シリーズ最終幕【人形劇】
 八階に降りた美月は手すりに身体を預けて呼吸を整えた。

(はぁ……やっと八階……)

 手に持っていたヒールの靴を床に置き、うずくまった。感覚が麻痺してきた足をさすって上を見上げる。

二十一階で聞いた足音はもう聞こえない。夢中で降りていたから足音が聞こえなくなっただけなのか、相手が追ってこなくなったのか、自分の息遣い以外は何も聞こえなかった。

(でもこのまま降りれば一階で待ち伏せされているかもしれない。駐車場のゲートから出よう)

 昨日、三浦との外出で地下駐車場に行かなければこの策はきっと思い付かなかった。八階から一階に出た美月はさらに下に降りた。

地下一階に降りると、廊下の先にぽっかり口を開けた薄暗い空間が見える。ガスやガソリンの臭いが混ざった地下駐車場独特の臭いが濃く漂っていた。

 階段は昇るのも辛いが降りるのにも体力を使う。三十二階から地下一階まで降りた美月の体力は消耗し、限界が近かった。

(私はキングの人形じゃない。絶対に人形にはならない)

気を強く保たなければ倒れそうだった。重たい身体を引きずってどうにか足を進める。
[出口→]の矢印に従って進んでいても、果てしなく広がる灰色の世界は巨大な迷路のよう。

 三浦の車が駐車場のどの位置に停められていたのか、方向感覚も曖昧な今となっては思い出せない。でも出入りのゲートがいくつかあることは覚えている。

(あった……! これで外に出られる!)

 緩やかな上り坂のゲートに向けて走り出し、地上に繋がるゲートの坂道を必死に上った。外は太陽が眠りについた12月、冷気が肌を突き刺して寒さに鳥肌が立ってくる。

 赤坂の外堀通りに繋がるゲートから外に出た美月は足をもつれさせてコンクリートの地面に手をついた。
疲労と寒さに震えて一歩も動けない。ここまで持ってきたヒールの靴もまだ履けそうもない。

それでもここまで辿り着けた。貴嶋から逃げ切れた。あとは近くのコンビニにでも駆け込んで電話を借りて警察に連絡すれば安全だ……そう思ったのも束の間。

 街の喧騒に紛れて拍手の音が聞こえた。
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