早河シリーズ最終幕【人形劇】
 会場の外に出た美月はエレベーターホール手前にある館内図を凝視した。今いるのは三十二階パーティー会場。

三十五階建てのこのホテルは三十階から十一階までが客室、他の階はレストランやプール、エステサロンや結婚式場になっている。地下一階と地下二階は駐車場だ。

 案内図で非常階段の表示を探した。ホテルは貴嶋の手の者で溢れている。ホテルにいるスタッフや客は、すべてがカオスの人間の可能性を考えると誰にも見つからないルートから逃げるべきだ。

非常階段はエレベーターホールの反対方向にある。

「……行くしかないよね」

 ヒールの高い靴では上手く走れない。彼女は靴を脱いで手に持ち、走った。エレベーターホールを横切ると緑と白の非常用マークが見えた。
静かな通路を走り抜けて誰ともすれ違わずに非常階段の扉に辿り着くことができた。

 押し開けた扉の外には殺風景な灰色の空間が広がり、上から伸びる折り返し階段が下まで果てしなく続いている。
踊場の回数表示は32。地上に出るには長い道のりだ。

素足に伝わる冷たい感覚に顔をしかめて美月は階段を降り始めた。全速力で駆け降りて途中の踊場で息継ぎする。踊場の回数表示は21だった。
エレベーターなら一瞬の空間移動も、階段では気力と体力の勝負だ。

(まだ二十一階? 長いよ……なんでこんな無駄に高層の建物作るかなぁ)

 東京には高層ビルが多すぎる……と今は文句を言っても仕方ない。非常階段を使わなければならない事態は早々起こらないと誰もが思っているのだから。

 呼吸を整えて再び階段を降りようとした時に上の階の非常用扉が開く音が聞こえた。美月は息を殺して耳を澄ませる。
足音が一段ずつ階段を降りる音が響いた。

(誰かこっちに降りてくる? でもどうして? 非常階段なんか緊急時でもないと使わない……私を捕まえるため? それにしては急いで降りている様子がない)

足音が大きくなってきた。美月は姿勢を低くして音を立てないように階段の踏み板を降りる。上から聞こえる足音は一定の速度を保って降りてきていた。

 相手が誰にしろ見つかってはいけない。このままのペースでいれば降りてくる相手に追い付かれてしまう。

床の冷たさでひりひりと痛む足の裏をさすってまた階段を降りた。駆け降りた拍子に耳につけていたイヤリングを落としてしまったが拾っている余裕はなかった。

        *

 美月が去った後の二十一階の踊場に佐藤が降り立った。二十五階の非常口から彼はわざと時間をかけてここまで降りて来た。

{十五階を通過したよ。ペースが上がったね}

耳につけたインカムからスパイダーの声がした。

 ホテルの館内には至る場所に監視カメラが仕掛けてあり、非常階段も例外ではない。
各階の踊場の天井に仕掛けた小型カメラの映像からこちらの様子は筒抜けだ。

美月がどこに逃げようともすぐに居場所がわかるようになっている。

{どうする? まだ追いかける?}
『さて……どうするかな』

 二十一階と二十階の間の階段に花の形のイヤリングが落ちていた。そのイヤリングは美月がはめていた物だ。
佐藤は片方のみのイヤリングを拾ってポケットに入れ、下へ続く階段を降りた。
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