早河シリーズ短編集【masquerade】
 あの状況下で警察が秘密の部屋に辿り着くのがあと少し遅ければ、美月は池田に殺害されるか強姦されるか、とにかく無事ではいられなかっただろう。

『その人物に心当たりは?』
『さぁ。今のは貴方の例えばの話に付き合っただけですよ』

上野と貴嶋の腹の探り合いが続く。

『カオスの残党はいるのか?』
『いるとも言えますし、いないとも言えます』

 手錠がかかる両腕をカウンターについて、貴嶋は頬杖をついた。彼は透明なプラスチック板の仕切りに鼻先を近付ける。

『人間に心の闇がある限り、犯罪者《マリオネット》はいくらでも造れる。次世代のカオスは既に創造されていますよ』

 貴嶋の不気味なまでに柔らかく甘い声色は、人の心の奥にすっと入り込む。相手は催眠術をかけられたように動けなくなり、貴嶋の言葉に耳を傾けてしまう。

こうしてこの男は何人もの人間を虜にして操ってきた。

『上野警部、もう一度お尋ねします。私の息がかかった人間が美月を守っていたとして、果たしてそれは罪でしょうか?』

とても愉しげに貴嶋は質問を繰り返した。

『その質問に刑事として答えるなら、どんな理由であれ犯罪者を野放しにはできない。カオスの残党が美月ちゃんを守っていたとしても俺の仕事は犯罪者の逮捕だ』
『それが刑事としての答えですか。では、美月を大切に想うひとりの男としての答えは?』
『……美月ちゃんを助けてくれたそいつに感謝してる』

 誘導尋問に乗せられた形で癪《しゃく》だが、これが上野の本心だった。貴嶋は満足げに頷いて立ち上がる。面会はここまでだ。

『またお会いしましょう』

 次にいつ会うかもわからない別れの言葉を述べて貴嶋は立ち去った。
カオスの残党の存在は曖昧にはぐらかされて核心を掴めなかった。だがこれで、貴嶋の命令で動いている存在の疑いは限りなく黒に近いグレーになった。

 上野との面会を終えた貴嶋は収容されている部屋に戻る。鉄格子の嵌まる小さな窓からは、春の青空が覗いていた。

『君は今でも美月を守るナイトを続けているんだね。ラストクロウ』

貴嶋がその呼称を呼んだ“彼”が美月を守ることは罪になる?

『私がいなくてもカオスは生まれる。これから先も人間がいる限り……ね』


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