早河シリーズ完結編【魔術師】
 病院二階のランドリースペースは人がいなくて静かだった。洗濯機の作動音だけが聞こえている。
心労の溜まる美月は、ベンチに腰掛けて洗濯機の中で回る洗濯物をぼうっと眺めていた。

隼人の意識が戻って少しだけ安堵したが、斗真が誘拐されている現状は変わらない。深夜の電話の後の佐藤の行方も気掛かりだった。

 足音が近付いて来る。ここに用がある人間は入院患者の付添人か患者本人に限られる。この足音はスリッパの音ではない。靴音だ。

ランドリースペースに現れたその人に、美月は不信感を抱かなかった。なぜその人がここに現れたのかはわからない。
しかしここにいても不自然な人間ではない。

 その人は無言でじっとこちらを見つめている。あまり気持ちのいい視線ではなく、美月はその人に顔を向けた。

「どうしました? 私に何か……?」

聞いてもその人は答えない。答える代わりに、その人の手が美月に伸びた。

        *

 渡辺泉は二階廊下の角を曲がった。

「あーあ。亮の言った通りになってしまった……」

 病院の案内図に従って二階のランドリーを目指したはずの泉は、夫のからかい通りに方向音痴を発揮。案の定、病院で迷子になっていた。

迷ったことは渡辺には秘密にしようと固く誓う。隼人と渡辺が話ができるように気を利かせたのにこれではいい格好が台無しだ。

(だけど亮達って昔から大変なことに巻き込まれてきたんだなぁ。何よ犯罪組織って? なんで混沌《カオス》のキングなんて中二病丸出しの名前名乗ってるのよ! こっちはいきなりそんなこと聞かされても訳わかんないっつーのっ!)

 泉が渡辺と出会ったのは5年前。彼女が大学院生で渡辺が大学のポストドクターだった頃だ。渡辺達が大学時代に巻き込まれた静岡の殺人事件や、それ以降の犯罪組織カオスとの関わりを泉は何ひとつ知らない。

犯罪組織カオスについてはニュースで耳にした程度の知識しかなかった。2年前にその組織のトップが脱獄したと速報が流れた時、そう言えば渡辺は浮かない顔をしていた気がする。

(亮はずっとそんな中で隼人くんと美月ちゃんを見守ってきたのか……)

 渡辺は木村夫妻に対して妙な心配癖がある。それもこれまでの出来事が関係しているのなら納得だ。

 長い廊下を台車を押した清掃員が歩いて来る。台車には清掃道具と共に大きなゴミ箱が積まれていて、見るからに重そうだ。
清掃員が通れるように廊下の隅に寄り、壁伝いに歩いてようやくランドリースペースに着いた。

「美月ちゃん……?」

 美月が洗濯をしていると思っていたランドリースペースには誰もいない。あるのはベンチに置かれた空のボストンバッグと、洗濯機のドラムの中で回り続ける洗濯物だけだった。



第四章 END
→第五章 鎮魂歌 に続く
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