早河シリーズ完結編【魔術師】
『佐藤の車のナンバーはわかってる。もしもの時は手配をするさ。俺のこと、お人好しだと思ってるか?』
『正直なところは。上野さんらしい判断だと思います』

 上野は煙草を咥えて一服している。憂鬱に紫煙を吐く彼を見て、早河は苦笑した。

『禁煙の誓い破ったって石川さんから聞きましたよ』
『こんな時だ。煙草でも吸わないとやってられないだろ。破れば最後、無性に恋しくなるんだよな。煙草も、人も……』

指に挟んだ煙草を円を描くようにクルクル回すと煙草に灯る赤い光が暗闇に輝いた。

 上野のスマートフォンが着信する。東京の小山真紀からだ。

『……そうか。ご苦労さん。俺も明日には東京に帰る。それまでそっちを頼む』

真紀と二言三言のやりとりを交わして通話が終わる。隣で会話を聞いていた早河には電話の内容は予想がついた。
やりきれない思いの溜息が紫煙に乗って空に上がる。

『土屋を逮捕したそうだ』
『やはり彼女がダンタリオンでしたね』

 東京で逮捕された警視庁捜査一課刑事の土屋千秋は上野直属の部下、事件の首謀者のひとりの篠山恵子は上野の元恋人。
今回の事件は上野に相当な心労を与えていた。

『俺は鎌倉に戻って佐藤を待つ。早河はどうする?』
『病院に寄って子ども達の様子を見てから鎌倉署に行きますよ』

 海岸を去る上野の背中に視線を送る。早河が長年見続けた上司の背中は、一回り小さくなったように感じた。

いつの間にか側に来ていた神奈川県警の大西刑事が、早河の顔をまじまじと見て吹き出している。

『なんだよ。人の顔じろじろ見て吹き出すとは失礼だな』
『真愛ちゃんに会う前にその顔なんとかしろよ』
『は?』
『酷いもんだぞ。車のミラーで見てみろ』

 大西に促されて早河は車のサイドミラーに顔を寄せた。暗がりの中で大西がスマートフォンのライトを灯してくれると、ようやく鏡に映り込んだ自分の顔が見えた。

口元は切れて血が滲み、頬や目の周りにはアザができている。貴嶋と殴り合った時にできた傷だ。

『うわっ。こんな顔して会いに行ったらなぎさも真愛も驚くよな』
『この怪我はパパの頑張りの勲章だとでも言っておけよ』
『勲章なんて真愛にはまだ意味がわからねぇよ。つーか引っ張るな。傷が痛む』

 大西に頬を引っ張られて早河の顔がにこやかに歪む。そういえば何かあると大西がいつもこうして励まして笑わせてくれたと、早河は遠い過去を懐かしんだ。
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