早河シリーズ完結編【魔術師】
 坂下菜々子の病室は外科病棟の三階にある。警察の聴取もあるために病室は個室だ。

看護師の足立静香がスライド式の扉を開けた。先に病室に入った静香がベッドにいる菜々子に優しく話しかけた。

「坂下さん。警察の方がお話を伺いたいそうです。入っていただいてよろしいですか?」
「は、はい。大丈夫です。あの、眼鏡は……」
「ここですよ」

 サイドテーブルに置かれた眼鏡を静香から受け取って、菜々子は身体を起こした。
真紀は菜々子と目を合わせて会釈する。眼鏡をかけた菜々子も真紀を見て頭を下げた。

「何かあればここのナースコールを押してくださいね」

にこやかに微笑みかけて静香が病室を出ていった。物腰が柔らかくて、患者に慕われそうな看護師だ。

「警視庁捜査一課の小山です。お体の具合はいかがですか?」
「手と足のかすり傷だけなので大したことは……。でも木村主任は……」
「手術は終わりました。でも意識が戻らない状態が続いています。今はICUに居ますよ」

 菜々子は包帯の巻かれた腕をさすった。傷の程度は軽症でも、問題は彼女の心の方だ。
目の前で隼人が刺される場面を目撃してしまった菜々子の心には、深く大きな傷がついている。

「辛いことを思い出させてしまいますが、木村さんを襲った犯人について覚えていることはありませんか? 気になったことならなんでも結構です」
「犯人のことは何も……。知らない男の人でした。顔も、目と口だけが出ている……目出し帽? と言うんですか、それを被っていて」
「背格好や、例えば声を聞いた時に何歳くらいの男性だと思いました?」

菜々子は唇を噛んで眉を寄せる。犯人の声を必死で思い出そうとするが、隼人が刺されたショックが強くて犯人の印象をなかなか思い出せない。

「声はまだ若い感じだったと思います。しわがれてはいなくて、あ……きよりんに似てるかも」
「きよりん?」
「えっと、清野さんって言う声優さんです。桃色学園プリンセスでショウくんのライバルのコハクくん役で……」

 急に饒舌になった菜々子の話を要約すると、アニメ〈桃色学園プリンセス〉に登場するコハクという男性キャラクターの声を務める声優の“きよりん”こと、清野千里《きよの せんり》と犯人の声が似ていた。

それも清野自身の地声ではなく、コハクくんバージョンの時の声に似ていたと言う。
声優やアニメに詳しくない真紀は、アニメの話をする菜々子の饒舌ぶりに少々気圧された。

「コハクくんが登場する第三話は見てみるね。じゃあ、犯人の身長はわかる? 木村さんと比べて高いか低いか」
「身長は……木村主任よりは低かったと思います。主任の抹殺が……命令だって……」

 アニメの話は嬉々として語っても、事件の話となるとたちまち怯えてしまうのは困り者だ。ついに堪えきれなくなった菜々子が涙を流した。嗚咽を漏らす彼女をなだめて真紀は病室を後にする。
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