Deception〜私たちの恋の裏にはそれぞれの思惑が渦巻いている〜


 ***

 想乃の演奏はバラード調の旋律から始まった。ゆったりとしたテンポで翳りのある楽想とともに流れ出す。クラシックにはない旋律に思えて慧弥は首を捻った。

 いったい何の曲を弾いているのだろう。正体はわからないのに、不思議とどこか懐かしい。遠い昔に聴いたことがあるような気がして、記憶の奥をくすぐられる。

 得体の知れない錯覚に眉をひそめたまま、慧弥は耳を傾ける。その間に、曲はBメロに入った。

「慧弥」——すぐそばで、父の声がした。

 振り返ると、わずかに目を赤くした父と視線がぶつかった。父の情のこもった眼差しを見つめ、息を呑む。再び想乃に視線を向けた。

 彼女が奏でるピアノの旋律は、サビ部分に入った。突然、全身に鳥肌が立った。鼓動が速まる。体温が上昇する。血が逆流するような感覚に襲われ、微かに唇が震えた。

 これは——母の曲だ。

 白いグランドピアノに向かい、いつも演奏していた母のセットリスト。

 美しい音色に聴き入る自分へ、優しく微笑む母の穏やかな表情。メロディとともに、母との思い出が鮮やかに蘇る。

 思わずスーツの内ポケットを探った。式次第と書かれたパンフレットを今一度確認する。ピアノの生演奏(3曲)。確かにそう書いてある。
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