男装して婚約者を演じていたらお兄様に目をつけられてしまいました
 頭を振り、仕事に戻る。なるべく彼女が見えない位置で。
 産休中の社員の代わりに入った契約社員が、俺の分も持ってきてくれると言うから仕事をしながら待っていた。受け取ったものに口をつけると甘くまろやかなカフェイン。
 お前、砂糖とミルク入れたな。余計なことをするな、と口から思ったことが出そうになった時、なぜか俺の視線は飲み物を配っている彼女に移動した。
 目が合った。
 彼女が俺を見ている。
 空いた口が自然に閉じた。
 もし、ルココがこれを持ってきたら、俺は無理をしてでも飲む。だってルココを悲しませたくないから。もし、白井が俺が頼んだものと知らずに砂糖とミルクを入れていたら……。
 何も言えなくなった。
 カップを隅において仕事を続ける。
 いつもなら言いたことを言ってスッキリするのに、曖昧に済ませてしまったせいでモヤモヤする。この甘ったるいコーヒーを俺は飲むべきなのか? 飲まなくていいのか?
 飲まなくたってもうとっくに白井はカフェに戻っている。こっそり捨てればなんの問題もないじゃないか。ってか、俺なんでこんなことで悩んでんだよ。どうしたんだ、俺。
 モヤモヤが頂点に達した時、スマホの通知が鳴った。差し出し人は白井世奈。

『コーヒーカップを持って廊下まで出てこられますか?』

 なぜこれを持ってこいと言うのだろうか。
 不思議に思いながら言われるままに廊下に出る。

「先ほどお客様にお渡しするドリンク間違えてしまいまして、こちらがご注文いただいたホットコーヒーです」
「何故他人行儀なんだ?」
「しっ」

 人差し指を立たせて口元にあて周りを見ている白井。
 ああ、そうか。父が言っていたシンデレラストーリー。きっとここで出会ったということにしたいんだ。仕方ない。協力してやるとするか。俺は小声で白井と会話する。

「お前じゃなかったんだな。これブラックか?」
「安心してください。もちろんブラックです。これ自腹で買ったんで、代わりにそちらは私がいただいていいですか?」

 にっこり微笑んで俺の手に持っているカップと交換する。俺が口をつけたコーヒーを白井が飲むのか? それって……。いや、いやいや。何考えてんだ俺。白井はルココの。

「それでは、私はこれで。お仕事頑張ってください」

 忍者になったかのように周りを警戒して俊敏に戻っていった。エレベーターを使わずに、階段で。
 は? 階段?

「あは、あはは」

 変わったやつだ。
 まだ暖かいカップを口元に持っていき、傾けて熱々の液体を口の中に流す。

 コーヒー、美味いな。
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