〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
リビングに入ってきた愁に一目散に飛び付いたのは同居人の夏木舞だ。
「愁さんおっはよぉー」
『おはよ』
舞とハグを交わした愁は十七畳の広いリビングを見渡した。
窓際では舞の兄、伶が園芸用のロープを使ってプランターを天井から吊るしている。南西向きのテラスには、園芸が趣味の伶が造った花の楽園が広がっていた。
『草が増えてるな。これ何?』
『草じゃなくて観葉植物。シュガーバインです』
『美味そうな名前』
『愁さん寝ぼけてますね? 砂糖とパイナップルじゃありませんよ』
この家には共有スペースのリビングに観葉植物が置かれているが、植物の世話をするのは伶のみ。愁や舞は植物に興味を示さない。
『伶。コーヒー淹れて。濃いやつ』
『はいはい』
観葉植物の世話をしていた伶は怠惰《たいだ》な同居人のためにキッチンに向かった。リビングの大きなソファーに埋もれる愁の隣に舞が寄り添っている。
「愁さぁん。お買い物行こうよぉ」
『やり残した仕事片付けたいんだ。午後からでいいか?』
「うん! 愁さんとデートォ! ネイル塗らなくちゃっ」
愁にとってはただの外出でも舞にとってはデートなのだろう。騒がしい舞が自室に籠ってくれるおかげで静かにコーヒーが飲めそうだ。
『会長秘書の仕事も大変ですね』
『あの爺さんもそろそろ隠居してくれねぇかな。そうしたら俺もお役後免になれる』
対面式のキッチンに立つ伶は慣れた手つきでコーヒーをドリップする。愁専用のカップに入る淹れたてのコーヒーはどこまでも黒い。
『会長が引退すれば会社の実権は徳田《とくだ》社長が握ることになりますよね。今も経営は徳田さんが回しているようですが、最高権力者は会長ですし』
『徳田の天下も一時の話さ。会長は将来的に夏木コーポレーションをお前に継がせるつもりだ』
『俺は会社なんか欲しくないですよ。だけど夏木家と養子縁組をした立場ではどうしたってそうなるのかな』
10年前に両親を亡くした伶と舞は夏木十蔵と養子縁組をした。夏木と妻の間に子はなく、いずれは夏木家の資産は養子の伶と舞に引き継がれる。
『朋子《ともこ》さんも伶に会社を継がせたがってる』
『意外ですね。あの人が俺のことを気に入ってるようには思えませんけど』
朋子は夏木の別居中の妻だ。伶と舞の養母に当たる朋子は、鎌倉の別宅で悠々自適に暮らしている。
伶も舞も朋子とは年始の挨拶や夏木コーポレーションのパーティーで顔を合わせるくらいの希薄な関係だ。
『愁さんが会社継げばいいのに。愁さんには商才があると思いますよ』
『俺はただの秘書だ。会社の実権握る立場じゃねぇよ』
ブラックコーヒーと伶が用意した朝食に愁が手をつけ始めた頃に、爪を赤色に塗った舞が現れた。舞のネイルは緑のサラダの椅子に鎮座するプチトマトのような艶のある真っ赤な色合いだった。
「愁さんおっはよぉー」
『おはよ』
舞とハグを交わした愁は十七畳の広いリビングを見渡した。
窓際では舞の兄、伶が園芸用のロープを使ってプランターを天井から吊るしている。南西向きのテラスには、園芸が趣味の伶が造った花の楽園が広がっていた。
『草が増えてるな。これ何?』
『草じゃなくて観葉植物。シュガーバインです』
『美味そうな名前』
『愁さん寝ぼけてますね? 砂糖とパイナップルじゃありませんよ』
この家には共有スペースのリビングに観葉植物が置かれているが、植物の世話をするのは伶のみ。愁や舞は植物に興味を示さない。
『伶。コーヒー淹れて。濃いやつ』
『はいはい』
観葉植物の世話をしていた伶は怠惰《たいだ》な同居人のためにキッチンに向かった。リビングの大きなソファーに埋もれる愁の隣に舞が寄り添っている。
「愁さぁん。お買い物行こうよぉ」
『やり残した仕事片付けたいんだ。午後からでいいか?』
「うん! 愁さんとデートォ! ネイル塗らなくちゃっ」
愁にとってはただの外出でも舞にとってはデートなのだろう。騒がしい舞が自室に籠ってくれるおかげで静かにコーヒーが飲めそうだ。
『会長秘書の仕事も大変ですね』
『あの爺さんもそろそろ隠居してくれねぇかな。そうしたら俺もお役後免になれる』
対面式のキッチンに立つ伶は慣れた手つきでコーヒーをドリップする。愁専用のカップに入る淹れたてのコーヒーはどこまでも黒い。
『会長が引退すれば会社の実権は徳田《とくだ》社長が握ることになりますよね。今も経営は徳田さんが回しているようですが、最高権力者は会長ですし』
『徳田の天下も一時の話さ。会長は将来的に夏木コーポレーションをお前に継がせるつもりだ』
『俺は会社なんか欲しくないですよ。だけど夏木家と養子縁組をした立場ではどうしたってそうなるのかな』
10年前に両親を亡くした伶と舞は夏木十蔵と養子縁組をした。夏木と妻の間に子はなく、いずれは夏木家の資産は養子の伶と舞に引き継がれる。
『朋子《ともこ》さんも伶に会社を継がせたがってる』
『意外ですね。あの人が俺のことを気に入ってるようには思えませんけど』
朋子は夏木の別居中の妻だ。伶と舞の養母に当たる朋子は、鎌倉の別宅で悠々自適に暮らしている。
伶も舞も朋子とは年始の挨拶や夏木コーポレーションのパーティーで顔を合わせるくらいの希薄な関係だ。
『愁さんが会社継げばいいのに。愁さんには商才があると思いますよ』
『俺はただの秘書だ。会社の実権握る立場じゃねぇよ』
ブラックコーヒーと伶が用意した朝食に愁が手をつけ始めた頃に、爪を赤色に塗った舞が現れた。舞のネイルは緑のサラダの椅子に鎮座するプチトマトのような艶のある真っ赤な色合いだった。