〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
「2008年の埼玉 蕨《わらび》市女子高校生殺人事件……。埼玉でこんな事件があったんですね」

 被害者は佐倉佳苗、十七歳。現場は隣接する川口市と蕨市を跨ぐ川口蕨陸橋の自転車置き場。
第一発見者であり通報者の欄には、松本美夜と記載がある。

「松本?」
『神田の当時の苗字だ。その後に親が離婚して神田姓になったらしい。殺された女子高生は神田の父親と援助交際をしていたんだ』
「父親と友達が援助交際……。なかなかディープな話ですね……」

美夜が警視庁に配属されて3週間、彼女とプライベートな話をする機会はまだない。今後も家族の話題には触れない方が良さそうだ。

『重要参考人とされた不動産会社社長の明智信彦も佐倉佳苗と援助交際をしていた。明智も事件当日の夜に射殺されている』

 タブレット画面が別の事件資料に切り替わる。今度は川口不動産会社社長殺人事件。

2008年3月29日、埼玉県川口市の明智邸で信彦と妻の京香が射殺された。第一発見者と通報者は明智の一人息子。息子は当時十歳だった。

「被疑者が事件同日に別件で殺されるって……明智は明智で、恨みを買っていたのでしょうか?」
『蕨市の女子高校生殺しの犯人は物証からしても明智で間違いないが、同じ日に明智と妻を殺した犯人は10年経ってもまだ捕まっていない』

明智夫妻を撃ち抜いた弾丸は三十二口径。現場からは犯人の指紋や遺留物の採取はできず、明智の息子も犯人の姿は見ていないと証言した。

 明智信彦は自身が殺される数時間前に佐倉佳苗を殺害している。

佳苗は息を引き取る直前に美夜の携帯電話に電話をかけていた。瀕死の佳苗から連絡を受けた美夜が、蕨市と川口市を跨がる川口蕨陸橋に向かうも佳苗はすでに事切れていたそうだ。

「神田さんは友達を殺した明智が、同じ日に殺害されたことも明智夫妻殺しが未解決になっていることも知っていますよね」
『だろうな。神田は国立大の法学部から警察に入ったくらいだ。キャリアも狙えたはずが、あえて所轄勤務を希望した神田を上は不思議がってる』

 美夜の卒業した東京 国立《くにたち》市にある国立大法学部は、奇遇にも真紀の夫と同じ出身だった。あそこの大学を出ればエリート街道が約束されたも同然。

それでも美夜はわざわざ警察官の道を選んだ。

『気になるのは明智夫妻には子どもが二人いたんだが……』
「息子と娘の記載がありますね。発見者の息子の伶が十歳、二階で寝ていた娘の舞が五歳」
『正確には二人とも明智と前妻の間の子どもだ。息子と娘は一旦施設に入って、その後に養子に入っている。子ども達の養子先はあの夏木十蔵だ』

 夏木の名前が出た途端、真紀の顔つきが険しくなる。エクレアとカフェオレの幸せの魔法が解けた彼女は小さな溜息をついた。

 夏木十蔵が束ねる夏木コーポレーションは港区虎ノ門に本社を構える長者番付常連の上場企業。

近年はホテル経営に力を入れており、都内や関東近郊に高級ホテルやリゾートホテルを所有している。
紛れもなく夏木十蔵は日本の経済社会を牛耳る一人だ。
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