副社長の甘い罠 〜これって本当に「偽装婚約」なのでしょうか?〜
「そうなのね。お父さんが事故で亡くなって、私は世界が真っ黒に塗りつぶされたようで。毎日、本当に落ち込んで過ごしていたわ。本当に辛いのは子供達なのにね…。澪と蓮に支えられて、何とか少しずつ体調も戻ってきて。

 ある日思い出のホテル・ザ・クラウンに行ったのだけど、体調を崩して座り込んでいたら、たまたまお客さんとして来ていた医者の薫さんに助けてもらって。薫さんともあのホテルで出会ったの」


そう、ホテル・ザ・クラウンは母にとっても大事な場所だ。

私が子供の頃は、お祝い事や何かの節目の度に、必ずホテル・ザ・クラウンでお祝いをしていた。

父との思い出の場所。家族みんなの笑顔が、この目に焼き付いている。


父亡き後は、薫さんのお陰で、奨学金の負担も少なく4年制の大学に入ることができた。弟の蓮もそうだ。

ホテルというと、専門学校を出てホテルマンになる人も多い中で、私は大学に行った。体力仕事であることも理解していたので、別のキャリアの選択肢も残しておきたかったからだ。

結局、迷いに迷って、ホテル・ザ・クラウンに入社した訳だが。

 
「澪は、お父さんが亡くなった後も、私の前ではほとんど泣かなかったわ。多分、色々と我慢していたんだと思うの。
 蓮の面倒も見てくれて、本当に苦労をかけたわ。飛鳥さん、どうか、澪を幸せにしてあげてほしいの」

「はい、もちろんです。澪さんを必ず幸せにします」


飛鳥さんは真っ直ぐに母を見て、迷いなくその言葉を発した。

偽装婚約で演技とはいえ、その真っ直ぐな言葉は母の涙を誘っていた。
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