ツイッター和歌集・1

河童(4)画竜点睛

斯くして芥川は彼の著名な鳥獣戯画を描いた鳥羽僧正覚猷のように実に生き生きとしてこの小説を、彼の理想郷を描いている。恐らく執筆していて楽しくて仕方がなかったのではないかと想像されますが、しかしそれでは画竜点睛を欠いています。ではその画竜点睛とは?それは云わずもがな、彼自身の自殺の決行でした…。
 自殺の直接のきっかけとなったのは「河童」とほぼ同時期に書かれた「ある阿呆の一生」内にある「彼の姉の夫の自殺は俄かに彼を打ちのめした。彼は今度は姉の一家の面倒も見なければならなかつた」ゆえであったことは論を待たないでしょうがもちろんそれだけではありません。同じく「ある阿呆の一生」内にあった「しみじみ生活的宦官に生まれた彼自身を軽蔑せずにはゐられなかつた」「幸福は苦痛を伴ひ、平和は倦怠を伴ふとすれば、――?」という言葉、また河童内にある「特別保護住民(〝私〟こと畢竟芥川は河童の国に於いてはこういう待遇であったのです。即ち衣食住を保証され働く必要がなかった)」などの羅列が意味深です。もちろん、彼が家族を養うためにもの書きをする、日々小説執筆をせねばばならなかった〝生活人〟であったことは事実でしたが、その反面で、師・夏目漱石に見入出されて以来小説家としてのトントン拍子、出世し行く様には目を見張るものがありました。またそれは、実家の新原家から母フクの発狂ゆえに伯父芥川道章の元へと養子に出されたのですが、由緒ある氏族であった同家のもとでスクスクと育ち、第一高等学校から帝大まで(もちろん本人が優秀であったが故ですが)こちらもトントン拍子で進んだことともダブります。

             【鳥獣戯画。ネット上から拝借 ↓】
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