こっから先ははじめてだから
フロントのあるコテージでチェックアウトをする際、私が一言スタッフさんにお礼を伝えておいた。
「ベッドを離してもらってありがとうございました。」
「いえいえ。」
ほどよく頭を下げて後にすれば、先輩にふわりと横から覗き込まれた。
「爽ちゃん、なんてできた子なんや……。」
「え?な、なんか、優しいパパみたいですね。」
「俺?パパ?……爽ちゃんの?」
「はい。」
「ほな、パパが荷物持ったる。」
「い、いいですよ、重いですって。」
そう言って、反対の手で私の小さな手を握った先輩。指と指を絡めた貝がら繋ぎで、今すぐ私は貝になりたい。
くっついたベッドを離してほしいパパと娘。仲良く貝がら繋ぎで帰る私たちって、スッタフさんにはどう見られてるんだろう?
背中に刺さる視線が強い気がする。
「あ……売店ある。」
コテージを出ようとしたところで小さな売店を見つけた私たち。観光地らしい箱入りのお菓子と、この辺りの地域で有名な和紙を使った商品、それにガラス細工の製品が陳列している。
「りっくん!これ、昨日晴雲酒造で見た飲み比べセットのグラスだ!」
「あ、ほんま。青とピンクが揃っとる。」
3種の飲み比べセットのグラスが売られている。昨日は透明も入った3種類だったけれど、よく見ればここにあるのは夫婦用と値段表には書かれている。
そっと手に取って、昨日同様、私の小さめの手にも収まるサイズを両手で堪能する。
「やっぱりこの小ささ、いいですね!」
「うん。……夫婦用やけど。まあええか。」
先輩が箱に入ったセットを手に取り、お会計へと持っていく。観光地らしいけっこうなお値段。セットで3000円もする。
でもためらいなく即決できるって、やっぱり先輩ってスパダリだよな。そう思う頭の隙間で、もしかして、私のために買ってくれた?という自惚れが鎮座している。
先輩の彼女になったからって、さすがに小生意気だって。
「お待たせ。」
「……りっくん…あの…」
「ん?なに?」
「い、いえ。なんでもないです!」
「ん?なに?なあに?」
そのグラス、どっちもりっくんが使うんですか?って聞いてみようと思ったけれど、なんだか誘導尋問にも思えてしまって口を閉じた。
爽ちゃんと使うんやよ。って言わせたい小生意気な彼女。
だって、夫婦セットを一人で使うわけないよね。もし、私以外の誰かと使ったらどうしようって。こんな些細なことでも、もうすでに先輩を独占した気持ちでいっぱい。
まだ彼女になったばかりですし、なんなら初めて彼女というものになったばかりですし。
私の小生意気な独占欲。どうか、可愛く育ってくれますように。
「そのグラス……お、お土産ですか?」
「うん。」
「自分用に?」
「……いや?これは、ちょっとね。」
いつもはっきりしている先輩の濁した応え。
じゃあ、やっぱりそれって私にってことなのかなあ。
欲張りな私の唇が、ピクリと上昇気流に乗せられていく。勝手に浮かれてしまってごめんなさい。りっくん大好きです。
今日行くのは、松岡醸造という全国新酒鑑評会で8年連続金賞を受賞しているという酒蔵。
立派な正門をくぐれば、歴史を感じる赴ある建物が現れる。
「酒蔵って、どこも古い建物のままで風情がありますよね。」
「日本酒の麹菌は建物にもついているから、一新してしまうと本来の麹菌が無くなってしまうんよ。」
「へえ。だから建物が昔のままで保たれてるんですね。」
「その酒蔵にはその酒蔵の、特徴的な麹菌を大事に大事に繁殖させとおねんな。」
先輩の、“大事に大事に”の言葉自体が大事にされています。
「……りっくんって。私以外に関西弁で話す相手って沢山いるんですか?」
「え?……まあ、そら身内とか。あと、学生時代の友達くらい?」
「グランピングしたっていう、お友達ですか?」
「ん?ああ。そやねえ。」
女の人は?私以外の女の人にもそんなにかわいい言葉を沢山使っているんですか?
「……なんやった?なんか、俺の関西弁、あかんかった?」
ぎゅっときつく握られた手の中が、緊張のあまり過呼吸気味になっている。
恥ずかしくて、でも“好き”から伝わる勇気が私の背中を後押しした。
「もし、先輩が、会社で関西弁になっちゃったら、どうしようって。」
「え?」
「きっと私、やきもちのタイフーンが止まらなくなると思うんです。」
「タイフーン。」
「タイフーン。っていいません??」
「言わんなあ。それに、“やきもちのタイフーン”って料理名みたいやん。」
「りょ、りょうり?」
「“焼き餅のビーフン”、みたいな。」
「なんだか、美味しくなさそう……。」
先輩が、笑いをこらえるような咳払いをして。それからツボに入ったかのように笑い出した。
「あはは、爽ちゃんが自分で作った料理名やん。」
「ええっ!なっ、勝手に料理にしちゃったのはりっくんの方じゃ、」
「うれしい。」
先輩が、ふわりと私の耳元で息をかけるようにささやく。
「タイフーン起こしてくれる宣言、うれしい。」
外国人観光客も沢山いる酒蔵の前で、私のこめかみ辺りにキスをした先輩。
仄かに香る麹菌の中で、私の昂る気持ちが繁殖させられていく。蒸されたお米の煙が、煙突を抜ければ。少しだけ勇気が出るんだよ。
先輩の腕に、擦り寄せるようにして頭を傾ければ。吐息混じりの声が再び耳元でささやかれる。
「今、好き好きタイフーン起こしとる。」
「た、タイフーンでいいですか?」
「間違いないです。」
タイフーンって、台風よりも強めなんですよ?
ここでも先輩が、酒蔵見学を予約していてくれたようで、酒蔵見学の入口には、存在感のある杉玉がお出迎えしてくれている。
でもその入口に向かう際、後ろから声を掛けられた。連日のお天気日和に負けない、調子づいた陽気な声。
「刈谷?!うっそ、刈谷じゃん!」
「え?………か、刈谷さん?」
先輩と手を繋いだ間から振り返ったそこには、横浜支部の同期、池駒君と……恐らく大輪田君がいた。
昨日、ぱるるんたちが最近イメチェンをしたと言っていた大輪田君。確かに黒縁眼鏡はかけていないし、髪の毛もセンター分けにして明るい色になっている。
この状況、どうにも言い繕えず。
目が泳いで、とりあえず先輩に迷惑がかかってはいけないと、繋いでいる手をぱぱっと離した。
「あれ。……池駒君!と、大輪田くん??」
「大輪田だけなぜ疑問形。」
「だって、なんかイメージちがくない?」
「ちが……うね!そういえば刈谷、まだ変身後の大輪田直継を知らなかったか。」
手の行き場をなくし、コートで緊張の手の平を拭う。
手を離したところで、さすがに先輩と二人で遠方に来ているこの状況は、もうどうにもならない。
どっからどう見たって……、パパと娘…??
大輪田君が何度も瞬きを繰り返して。私よりもじっと先輩の方を見ている。今、この松岡醸造の中で誰よりもドキドキしているのは刈谷爽。
なんでしたら気まずい空気を醸します。
「……え。え??総務の、憂さん?!」
先輩が、深いため息で気まずい間を作ってから。荷物を持ち直し、二人の方を見て言った。
「……総務の、憂です。」
「いや知ってますって!」
「…………」
「あ!俺は横浜支部物流部の池駒です!こっちはシステム管理部の、」「大輪田です。」
大輪田君がちらりと私を見やって、それから憂先輩に向け軽く会釈をした。
そして大輪田君よりも、ずいずいっと前に出てきた池駒君。目が見開いているものの、興味津々といった感じだ。
相変わらず短髪のツリ目で、私の苦手なタイプだ。ちょっと不良っぽさが隠しきれないタイプ?
でも同期の絆はそれなりに深い。同期というだけで別格。共に苦しい労働の愚痴を言い合ってきた仲。だから不良っぽさのある池駒君は、今や私にとってお友達(補欠)枠だ。それ以上は踏み込めない。
「あの、もしかして二人は、……付き合」
「…………」
「……っいや。あの…。すいません。。」
いつでもずいずい行く池駒君が、後ずさりをするように語尾がどもる。先輩の無言の重圧に耐え切れなかった模様。
醸された気まずさを和らげるのが、私、宇宙人の役目。
慌てて池駒君に思いつく限りの世間話を振る。
「今日は、まゆゆは一緒じゃないの?おととい、まゆゆと一緒に飲んだんだよ!」
「あ、ああー…聞いた聞いた!アイツ、今日は親御さんの誕生日で実家帰っててさ、」
「そうなんだー。」
先輩を見上げて、「池駒君は、同じ同期のまゆゆちゃんとお付き合いしててですね、」と説明し始めたところで、自分たちも付き合っていることに気がついた。
先輩、ストリートスナッパーさんの前で、『会社の関係者に見られても面倒』だって写真断ってたし、きっと私と付き合っていること知られたくないよね?
「ご見学の方々、時間になりましたので案内させていただきます!」
私が言葉につまずいたところで、酒蔵案内役のお兄さんが声を上げた。
若そうな、なかなか顔立ちの整ったお兄さんで、他の女性客が可愛い悲鳴を上げている。
私と先輩は、何事もなかったかのようにそのまま見学者の後をついていった。
池駒君たちも、特に私たちに関わることもなく、見学者の波に紛れた。
「……イケメンやね。」
「え、っあ、そ、そうですね!酒蔵にしては珍しい感じのお兄さんですよね。」
「…そうやなくって。」
先輩が、池駒君と大輪田君の前で見せたドライな雰囲気のまま隣を歩く。
やっぱり、私以外の人の前では雰囲気変わるよね。同じ会社の人間なのに、ホテルのスタッフさんの前よりも冷たい感じだったな。
…難しいなあ。私の前だけ優しい先輩でいて欲しい気持ちと、皆の前でも柔らかい雰囲気になれば、もっと慕われるだろうにっていう気持ち。
先輩は前にグランピングしたことがあるって言ってたけれど、そのお友達とはどんな風に喋っていたのかなあ。