こっから先ははじめてだから

「こちらは、狙った温度帯を維持できるように最新の低温発酵タンクとコンピューターを用いて温度管理を行っています!」

発酵タンクが連なるエリアに来たところで、案内役のお兄さんからの説明が入る。古き良き蔵元でも、最新システムを取り入れたりするんだなあと関心するふりをしながらも、意を決して手の平を握りしめた。

「あの、先輩。グランピングのお友だちって、」
「さっきのシステム管理部の人、」

私が話しかけたタイミングで、先輩と声が被ってしまった。発酵タンクに興味を示す人たちの中で、お互い発酵タンク以外に気をとられていることに気づく。

「あっ、」とまた声が被って、恥ずかしくて一緒に酒蔵の菌がこびりつく地面を見つめる。

「日本酒造りに必要な菌は「麹」と「酵母」です!麹は米を糖に変えて、酵母は麹が作った糖を食べてアルコールと旨味成分を造り出します!」

お兄さんの声が蔵に響く中、先輩がゆっくりと地面から私に視線を移す。

「……そういえば、映画であったなあ。“口噛み酒”やっけ。米を噛んで吐き出して放置する酒造方法。」 

「ああ、なんでしたっけ?『君が名』?でしたっけ。」

「『君の名は。』な。…なんでそんな国歌斉唱みたいなタイトルなん。」

「す、すみませっ……私、俗世に疎くって。」   
  
「……あかん」

そう言って、ふっと吹き出す先輩。

先輩の表情が笑顔に満たされていく中、さっきまでの心音がゆるやかに刻まれていく。

先輩が笑顔で、柔らかな空気を醸してくれた。

「爽ちゃんの天然発言、完全アウトやわ。」

「え、ええ〜〜」

「知ってた?実は“口噛み酒”もアウトやって。」

「アウト?」

「法律上、認められてない酒造方法で違法なんやって。」 

「へえー……そうなんだ!」

思わず感嘆の声を上げてしまう。

「これはフィルター型の絞り機で――――」    
 
お兄さんが次の案内をする声で私が前を振り向けば、ふわりと、手の平に生温かいぬくもりを感じた。

先輩が手を握ってくれて、私ははにかみながらもその手に指を絡ませて繋ぎなおした。

お客さんたちが低めの天井をくぐっていき、池駒君と大輪田君も前の方で見えなくなった頃。先輩が耳元でこっそりと繊細そうな言葉を紡ぐ。         
 
「爽ちゃん、さっきの大輪田君って、なに?」

低めの声色で、吐息までもがアルトの音程。思わずぴくりと肩が跳ねる。

「な、なにが、ですか……」

「爽ちゃんのこと、じっと見すぎ」

「え?そ、そんなことは、」

「なあ、急がんで。」

今にも早足になりそうな歩幅を見透かされて、爪先が固まってしまう。手を強く引かれて、見学コースへの足取りを阻止されてしまった。    
 

「……大輪田君は、ですね、」

「うん」

「本部への異動前に、…告白してきてくれた同期、でして」

先輩が、沈黙の間を作る。

向こうから聞こえてくるお兄さんの案内定型文。ちょっとなに言ってるかはわからない。 
 
隠すつもりもなかった横浜支部でのショートストリート。

でも大輪田君は私に、『入社当時から好きでした!』と伝えてくれて。大輪田君からしたら、きっと“はてしない物語”だったのだろう。

私も大輪田君からのアプローチに気付いたのはいつだったか。気付いていながら気付いていないふりをしていた自分に、嫌気が刺して苦しかったのだ。

忘れてはいけない大輪田君の想いを、好きな人に伝えられるほど私の肝は座っていないから。

隠すつもりもなかったけれど、わざわざ伝えるつもりもなかったんです。
  
「……それって、一方的な?」

先輩の綺麗な瞳が、私に問いかける。 

「はい?」 

「つまり、大輪田君の一方的な想いって解釈でええ?」

「は、はい。。」

ぐっと、先輩と絡ませた指の間に意識が持っていかれる。先輩の長い指が、私の手の甲をすりすりと撫でた。

体内の熱がぶわっと放出するように顔が熱くなる。 

「今付きおうてるの、俺やもんな。」

こくこく。

「爽ちゃんは大輪田君を断って、俺の告白は受けてくれたってことやもんな。」

YESYES。

「俺が、先輩やから?」

NONO!と今度は首を、思い切り横にふる。

その間にも先輩の指は、私の手の甲を何度も撫でてくるから。顔なんて見れないね。

他の見学者さんたちはすでに向こうの部屋にいて、きっとはぐれた私たちの存在には気付いてない。

「なあ。本当に、俺でいいん?」

「も、もちろんです!」 

なかなか顔を上げられない私に、しびれを切らしたのか。先輩が、骨格に添うようにして私の顔を強引に上げる。

熱い顔を、先輩に真顔で見つめられる。

何も悪いことしたわけじゃないし。ちゃんと顔見て言わなきゃダメなこと、分かってるんだけど。

先輩の指のお腹でコソコソ撫でられるのが、朝抱きしめられていた時よりもずっと恥ずかしい。   

「好きって言って。爽ちゃん。」

「ひぁ?!」

「俺のこと、好きってゆうて。」

撫でられる手の感触に意識を持っていかれないよう、ぎゅっと先輩の手を握りしめる。

いつもなら、ゆっくりと私を覗いてくる先輩。でも今は、ちょっと強引な力で先輩の瞳に向き合わされている。

「……す、好きです。」

「誰が?」

「もちろん…りっく―――」

上から降ってきた、先輩のキス。

“りっくん”の言葉を言おうとした、半開きの唇に。きゅっと蓋をするようにしてりっくんの唇が被さった。

「んっ、」

どうしよう。誰かに見られてるかもしんないのに。

先輩の舌が、刈谷の口内に入り込んでくる。

まだ可愛いキスもままならないのに。金曜から日曜の今日までこんなに詰め込まれたキスの進化、人類の進歩にも勝る。

息の仕方が分からない。繋いでいる手とは反対の手で、先輩の袖をつかむ。

わらにもすがる恋愛初心者。

先輩が顔の角度を変えるタイミングで、思わず退いてしまった。はい撤退撤退。

「はあっ、くるしいよぉ」

「あ、堪忍、」

先輩が困ったような顔で私を見つめてくる。

私の頬にあてた手で、さらりと髪を下に流して。それから頭を撫でてくれた。

「ごめん。勢い余った。」
 
「い、いえっ」  

「…爽ちゃんの、初めてのディープ、奪ってもうて。」

「うっ。だ、大丈夫です!」

「朝、納豆食べてこんで良かったあ。」

「はいっ?!」

「納豆菌って、麹菌にあかん影響与えるらしいよ。」

「た、確かに、納豆菌って強いっていいますもんねえ。」

「ね。」

先輩が、はあ、と気落ちしたようなため息を吐く。ちょっとへこんでいる様子の先輩が、私の手を更にすりすりと指のお腹で撫でてくるのだ。        
            
本当に、“堪忍”してますか?私はりっくんの思わぬ行動に観念しそうです。

「あ、あの。りっくんは、会社の人に私たちが付き合ってること、バレても大丈夫なんですか…?」 
 
「……正直、まだバレたくない。」

「え、ええっ」

「でも今のはほんまに、浅はかやった。唇がゆうこときかんかった。」

「そ、そうですか。」

身体がいうことをきかなかったんじゃなく、唇ピンポインがゆうことをきかなかったってわけですね?

そのピンポイントなかわいさはとっても愛おしいのに。 

『まだバレたくない』の言葉にちょっぴり納得できない。まだ、日が浅すぎるってことかな?そりゃそうだよね。昨日の今日だもん。

付き合うって、最初から心までは擦り合わせられないからとっても難しいんだね。                           

「でもまあ。しゃあないよな。二人で旅行来てる時点でバレバレやよな。」

「で、すね……。」

言ってることと行動が一致しない先輩。こんなにも行動力が発言力を上回っているのに、『バレたくない』という言葉一つがどうしても私に突き刺さっていた。


酒蔵の見学が終わって、直売所で日本酒の試飲をさせてもらうことになった。

試飲できる日本酒は6種類もあって、順番に試飲をしていく。

松岡醸造では『帝松』という有名な日本酒を扱っているけれど、中でもウィスキーのような熟成香のある『MIKADOMATSU 土蔵10年熟成酒』というお酒がとても特徴的な味だった。
 
「ウィスキーって度数かなり高いけど、これは日本酒仕立てで飲みやすいよなあ。」

「ほんと。ウィスキーって30度くらいありますよね?」 

「もっとあるよ。40度以上あるもんが多いかなあ。」

  
日本酒は15度前後の度数のものが多いですもんねえ。

それにしても先輩ってすごくお酒に詳しいですよね?飲み会はほとんど断っているのに、なんでそんなに詳しいんですか?

そうやって、ほろ酔いに身を任せて聞いてみればいいのに。なんだかやましいことを聞いてしまうような気がしてしまって。

重要な部分を濁してみた。

「先輩って……お酒にすごく詳しいですよね。」  
  
「そら、家で一人で過ごすことが多いからなあ。次はどんなお酒飲もうかって調べているうちに、身についてしもうてん。」

「そ、そっかぁ。」

もし、私の知らない女の人から教わっていたりしたら嫌だなあって。悪い方向にばかり方位磁針を向けてしまう自分が悲しい。

先輩、キスも慣れている気がするし。

なんでも悪い方向に持っていこうとする刈谷の習性、よくないよ?小動物も宇宙人も夜行性ではあるけれど、悲観的傾向性ではないはずだよ?

「あの、りっくん。」

「ん?なに?」

すっと息を吸って、ふうっと心音の落ち着きを払う。

「これからは、二人で過ごすことが、多くなります…ね。」

「……そない顔真っ赤にして、わざわざ言わんでも。」

「す、すみません。。」

「嘘ウソ。そない言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しい。」

先輩がふわりと笑って、それから「かわいい。」と4文字ささやいた。

「ウソも方便、ですか?」

「今のは真実。」

甘いなあ。先輩の私に向ける笑顔が、とっても甘い。ずっと前から甘々だけど、恋人という称号を手にした今、先輩に言われる一つ一つの言葉に“大好き”が伴うのだ。

悪いことばっか考えてないで、今あるこの幸せを十分に噛み締めようじゃないか。






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