🍶 夢織旅 🍶 ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
第九章:新たな生活
1
雪が舞う横浜港に着いた醸と幸恵は華村酒店へ急いだ。
祖父は大丈夫だろうか?
父の体の具合はどうだろうか?
不安を抱えたままの移動が長くもどかしく感じた。
電車を乗り継いで実家に辿り着いた醸は、店頭に立っている父の姿を見て、ほっと胸を撫でおろした。
元気そうでよかった……、
その場でへたり込みそうになったが、心配はもう一つ残っていた。
「おじいちゃんは?」
「奥の部屋で待ちかねているよ」
ただいまとも言わず、幸恵も紹介せず、醸は奥の部屋に急いだ。
襖を開けると、懐かしい顔が目に飛び込んできた。
「おじいちゃん」
呼びかけると、布団の中の小さな体が醸の方に向き直った。
「おかえり」
懐かしい声だった。顔色は良くなかったが、柔らかな笑みを浮かべていた。
「大丈夫?」
祖父は小さく頷いたあと、醸の隣に座る幸恵に視線を移した。
「この人かい?」
「そうだよ」
幸恵に向かって頷くと、「初めまして、愛夢幸恵と申します。よろしくお願いいたします」と両手をついて頭を下げ、布団の反対側に座る両親に対しても両手をついた。すると、父は慌てて胡坐を正座に変えて笑顔を作ったが、どこかぎこちなかった。
「お会いできて嬉しいわ」
母は正座の足の上に手を置いてゆっくりと頭を下げ、祖父に視線を移した。
「お父さん、こんなにきれいな娘さんが醸と一緒に帰って来てくれてよかったね」
すると祖父は、うんうん、と小さく何度も頷いてから幸恵に視線を向け、「疲れただろ。ゆっくりしなさい」と孫を見るような穏やかな目になった。
帰国前に両親は近所のアパートを借りる手配をしてくれていたが、来月にならないと部屋が空かないので、しばらく実家の2階で生活をすることになった。
同居はかなりの負担をかけるのではないかと心配したが、幸恵はそんな素振りを見せることなく、それどころか一徹や両親と積極的に交流して、一気に華村家に溶け込んでいった。特に母とは馬が合うようで、初日から家事の合間に笑い声が漏れるようになった。普段男に囲まれている母にとっても幸恵は可愛いようで、実の娘のように接していた。
父は照れ臭いのか幸恵に声をかけることは少なかったが、それでもウキウキしているような素振りを隠すことができないようだった。
寝ている時間が長い祖父も嬉しそうで、奥の部屋に食事や水を持っていくたびに「ゆきちゃん」と必ず声をかけて二言三言話をしていた。特に幸恵が手や足を擦ってくれるのが嬉しいらしく、度々笑顔がこぼれるようになった。
「お前たちが帰って来てくれて家が明るくなったよ」
帰国して1週間ほど経った頃に父が嬉しそうな声を出した。
醸は頷いたが、笑みを返すことはできなかった。ちょっと動くと息切れする父の様子が気になって仕方がなかった。
「重い荷物の上げ下ろしは俺がやるから」
少しでも休ませようと力仕事をすべて引き受けたが、家を離れていた間に一気に老けた父の変化に戸惑いを感じていた。すまんな、というような表情で椅子に腰を下ろす父の体が小さく見えたし、白髪だらけの頭や目の下の大きな弛みを見ると切なくなってきた。皺やほうれい線も驚くほど深くなっていて痛々しいほどだった。
歳を取ったな……、
父の前で思わずため息が出そうになった。その度にぐっと堪えたが、心配は募るばかりだった。それは幸恵も同じようで、病院に連れて行った方がいいと何度も急かされたが、連れて行こうとすると、頑なに拒み続けた。
「なんでもない。少し休めばよくなるのだから余計な心配はしなくていい」
毎回これの繰り返しだった。しかし、なんでもないわけがなかった。明らかに具合が悪そうだった。
ある日、父が前胸部を押さえて苦しそうにじっとこらえているところを見てしまった醸は、配達の帰りに図書館に寄って、心臓の病気について書かれている本を借りて帰った。
虚血性心疾患、狭心症、心筋梗塞という病名が並んでいた。その症状は父の症状に酷似していた。危険因子としては、喫煙や糖尿病、高脂血症、肥満、運動不足などがあると書かれていた。父はタバコは吸わないし、肥満でもないのでその点は心配なかったが、糖尿病や高脂血症に罹患しているかどうかはわからなかった。病院嫌いの父は受診はおろか健康診断も受けていなかったのだ。
「どうして健康診断を受けさせなかったの?」
「どうしてって言われても、あの人病院が嫌いだから、私が言っても聞かないのよ」
母は、打つ手なし、というふうに両手を広げた。
「俺の言うことも聞かない。頑として首を縦に振らない。困ったもんだよ」
醸は母と顔を見合わせてため息をついた。
「なんとかして病院に連れて行こうと思うけど、それまでは無理をさせないようにしないとね。過度の疲労と睡眠不足、それに激務やストレスが発症への引き金になると書いてあるから」
醸は腕組みをして、どうしたものかと思いを巡らせた。
雪が舞う横浜港に着いた醸と幸恵は華村酒店へ急いだ。
祖父は大丈夫だろうか?
父の体の具合はどうだろうか?
不安を抱えたままの移動が長くもどかしく感じた。
電車を乗り継いで実家に辿り着いた醸は、店頭に立っている父の姿を見て、ほっと胸を撫でおろした。
元気そうでよかった……、
その場でへたり込みそうになったが、心配はもう一つ残っていた。
「おじいちゃんは?」
「奥の部屋で待ちかねているよ」
ただいまとも言わず、幸恵も紹介せず、醸は奥の部屋に急いだ。
襖を開けると、懐かしい顔が目に飛び込んできた。
「おじいちゃん」
呼びかけると、布団の中の小さな体が醸の方に向き直った。
「おかえり」
懐かしい声だった。顔色は良くなかったが、柔らかな笑みを浮かべていた。
「大丈夫?」
祖父は小さく頷いたあと、醸の隣に座る幸恵に視線を移した。
「この人かい?」
「そうだよ」
幸恵に向かって頷くと、「初めまして、愛夢幸恵と申します。よろしくお願いいたします」と両手をついて頭を下げ、布団の反対側に座る両親に対しても両手をついた。すると、父は慌てて胡坐を正座に変えて笑顔を作ったが、どこかぎこちなかった。
「お会いできて嬉しいわ」
母は正座の足の上に手を置いてゆっくりと頭を下げ、祖父に視線を移した。
「お父さん、こんなにきれいな娘さんが醸と一緒に帰って来てくれてよかったね」
すると祖父は、うんうん、と小さく何度も頷いてから幸恵に視線を向け、「疲れただろ。ゆっくりしなさい」と孫を見るような穏やかな目になった。
帰国前に両親は近所のアパートを借りる手配をしてくれていたが、来月にならないと部屋が空かないので、しばらく実家の2階で生活をすることになった。
同居はかなりの負担をかけるのではないかと心配したが、幸恵はそんな素振りを見せることなく、それどころか一徹や両親と積極的に交流して、一気に華村家に溶け込んでいった。特に母とは馬が合うようで、初日から家事の合間に笑い声が漏れるようになった。普段男に囲まれている母にとっても幸恵は可愛いようで、実の娘のように接していた。
父は照れ臭いのか幸恵に声をかけることは少なかったが、それでもウキウキしているような素振りを隠すことができないようだった。
寝ている時間が長い祖父も嬉しそうで、奥の部屋に食事や水を持っていくたびに「ゆきちゃん」と必ず声をかけて二言三言話をしていた。特に幸恵が手や足を擦ってくれるのが嬉しいらしく、度々笑顔がこぼれるようになった。
「お前たちが帰って来てくれて家が明るくなったよ」
帰国して1週間ほど経った頃に父が嬉しそうな声を出した。
醸は頷いたが、笑みを返すことはできなかった。ちょっと動くと息切れする父の様子が気になって仕方がなかった。
「重い荷物の上げ下ろしは俺がやるから」
少しでも休ませようと力仕事をすべて引き受けたが、家を離れていた間に一気に老けた父の変化に戸惑いを感じていた。すまんな、というような表情で椅子に腰を下ろす父の体が小さく見えたし、白髪だらけの頭や目の下の大きな弛みを見ると切なくなってきた。皺やほうれい線も驚くほど深くなっていて痛々しいほどだった。
歳を取ったな……、
父の前で思わずため息が出そうになった。その度にぐっと堪えたが、心配は募るばかりだった。それは幸恵も同じようで、病院に連れて行った方がいいと何度も急かされたが、連れて行こうとすると、頑なに拒み続けた。
「なんでもない。少し休めばよくなるのだから余計な心配はしなくていい」
毎回これの繰り返しだった。しかし、なんでもないわけがなかった。明らかに具合が悪そうだった。
ある日、父が前胸部を押さえて苦しそうにじっとこらえているところを見てしまった醸は、配達の帰りに図書館に寄って、心臓の病気について書かれている本を借りて帰った。
虚血性心疾患、狭心症、心筋梗塞という病名が並んでいた。その症状は父の症状に酷似していた。危険因子としては、喫煙や糖尿病、高脂血症、肥満、運動不足などがあると書かれていた。父はタバコは吸わないし、肥満でもないのでその点は心配なかったが、糖尿病や高脂血症に罹患しているかどうかはわからなかった。病院嫌いの父は受診はおろか健康診断も受けていなかったのだ。
「どうして健康診断を受けさせなかったの?」
「どうしてって言われても、あの人病院が嫌いだから、私が言っても聞かないのよ」
母は、打つ手なし、というふうに両手を広げた。
「俺の言うことも聞かない。頑として首を縦に振らない。困ったもんだよ」
醸は母と顔を見合わせてため息をついた。
「なんとかして病院に連れて行こうと思うけど、それまでは無理をさせないようにしないとね。過度の疲労と睡眠不足、それに激務やストレスが発症への引き金になると書いてあるから」
醸は腕組みをして、どうしたものかと思いを巡らせた。