🍶 夢織旅 🍶 ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
3
「産まれたよ」
2020年の年明け早々、喜びに満ち溢れた翔の声が耳に飛び込んできた。40歳になった翔に初めての子供が生まれたのだ。翔の子供は、つまり、醸の孫ということになる。
それだけではなかった。初孫は特別な日に産まれたのだ。1月1日。崇、醸、翔、孫が同じ日に生まれるという幸運に恵まれたのだ。
これを奇跡と呼ばずしてなんと呼んだらいいのだろうか、
言葉に表せない程の感動が心を震わせた。
「元気な女の子だよ」
受話器から飛び跳ねるような声が聞こえた。
「良かった。それと、」
「うん、元気だよ。母子共になんの問題もない」
「そうか、良かった。本当に良かった」
思わず安堵の息が漏れたが、大事なことを聞くのを忘れてはいなかった。
「で、名前はもう決めたのか?」
「うん。女が生まれても男が生まれてもこれにしようと決めていた名前があるんだ」
「そうか」
肯定の口調で返したが、内心ちょっとがっかりしているのも確かだった。もし決めていないのなら、命名に参加させてもらおうと思っていたのだ。しかし、それを表に出すわけにはいかないので、「どんな名前?」と訊いてみたが、勿体付けているのか、すぐには返ってこなかった。その代わり、「どんな名前だと思う?」と逆に質問された。
「そう言われてもな~」
思いつくのは自分が考えていた名前だけだったが、それを言うわけにはいかなかった。
「いいから、当ててみてよ」
なおも焦らすので、「意地悪するなよ。勿体ぶらずに教えてくれよ」と語気を強めると、「わかったよ」と観念したような声になった。
「言うよ」
翔の口から初孫の名前が告げられた。
「えっ!」
飛び上がらんばかりに驚いた。その名前は秘かに考えていた名前と同じだったからだ。
「どうしたの、気に入らなかった?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ」
即座に否定したが、どう話せばいいかわからなかった。
「実は……」
「何?」
「いや、いい」
口から出かかったのをなんとかとどめた。翔が考えた素晴らしい名前なのだ。自分も同じことを考えていたなんて言う必要はない。
「なんだよ」
口を尖がらせている翔の顔が浮かんだ。
「いやね、あまりに素晴らしい名前なんで、ちょっと驚いちゃったんだよ」
それは本当だった。それに自分と翔の考えが同じだったことは最高に嬉しいことだった。
「本当? 本当にそう思ってる?」
「ああ、本当だ。最高の名前だよ」
「良かった。じゃあ、あとで」
そこで電話が切れたが、耳に当てた受話器を離せないでいた。まだ心が震えていた。その名前を口に出すと、また心が震えた。余りにも素晴らしい名前だからだ。それは自分が追いかけてきた人生そのものだったし、翔から孫娘へ繋がる無限の可能性を秘めていた。
「ありがとう」
プープーと鳴る受話器を耳に当てたまま礼を言った。
*
部屋に戻って、本棚の引き出しから半紙を取り出し、テーブルの上に置いた。そして椅子に座って筆ペンを持ち、初孫の名前を書いた。それを声に出して読んでみた。
「はなむら・ゆめ」
まだ見ぬ初孫の顔を想像した瞬間、瞼が熱くなった。
「夢ちゃん」
半紙に向かって呼びかけた。
「おじいちゃんだよ」
呟いた瞬間、祖父の顔が浮かんできた。膝の上に乗せて可愛がってくれた日々が蘇ってきた。すると、自分も好々爺になる時が来たことを悟った。それは、考えていたことを実行に移す日が来たことを意味していた。
*
産婦人科から帰ってきた翔に、社長を譲ることを伝えた。驚くかと思ったが、そうではなかった。「覚悟はできています」と真っすぐな目が返ってきた。
「おじいちゃんが亡くなった日に私が産まれるという運命、そして、世界へ羽ばたけという想いを込めてつけてくれた翔という名前、小さな頃からお父さんの背中を通して見てきた酒類ビジネスの世界、そのすべてが私に大きな影響を与え、導いてくれました。華村家に生まれたことを誇りに思っています。心から感謝しています」
翔は真剣な表情のまま頭を下げた。
「今日、1月1日は、おじいちゃん、お父さん、私の誕生日です。その1月1日に夢が産まれました。4代続けて同じ日に誕生するという、奇跡としか言いようがないことが起こったのです。なんと素晴らしい日なんでしょう」
翔は晴れやかな顔になり、一点の曇りもないその目で宣言するように力強く言い切った。
「華村酒店の光輝く未来を必ず創ってみせます」
「産まれたよ」
2020年の年明け早々、喜びに満ち溢れた翔の声が耳に飛び込んできた。40歳になった翔に初めての子供が生まれたのだ。翔の子供は、つまり、醸の孫ということになる。
それだけではなかった。初孫は特別な日に産まれたのだ。1月1日。崇、醸、翔、孫が同じ日に生まれるという幸運に恵まれたのだ。
これを奇跡と呼ばずしてなんと呼んだらいいのだろうか、
言葉に表せない程の感動が心を震わせた。
「元気な女の子だよ」
受話器から飛び跳ねるような声が聞こえた。
「良かった。それと、」
「うん、元気だよ。母子共になんの問題もない」
「そうか、良かった。本当に良かった」
思わず安堵の息が漏れたが、大事なことを聞くのを忘れてはいなかった。
「で、名前はもう決めたのか?」
「うん。女が生まれても男が生まれてもこれにしようと決めていた名前があるんだ」
「そうか」
肯定の口調で返したが、内心ちょっとがっかりしているのも確かだった。もし決めていないのなら、命名に参加させてもらおうと思っていたのだ。しかし、それを表に出すわけにはいかないので、「どんな名前?」と訊いてみたが、勿体付けているのか、すぐには返ってこなかった。その代わり、「どんな名前だと思う?」と逆に質問された。
「そう言われてもな~」
思いつくのは自分が考えていた名前だけだったが、それを言うわけにはいかなかった。
「いいから、当ててみてよ」
なおも焦らすので、「意地悪するなよ。勿体ぶらずに教えてくれよ」と語気を強めると、「わかったよ」と観念したような声になった。
「言うよ」
翔の口から初孫の名前が告げられた。
「えっ!」
飛び上がらんばかりに驚いた。その名前は秘かに考えていた名前と同じだったからだ。
「どうしたの、気に入らなかった?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ」
即座に否定したが、どう話せばいいかわからなかった。
「実は……」
「何?」
「いや、いい」
口から出かかったのをなんとかとどめた。翔が考えた素晴らしい名前なのだ。自分も同じことを考えていたなんて言う必要はない。
「なんだよ」
口を尖がらせている翔の顔が浮かんだ。
「いやね、あまりに素晴らしい名前なんで、ちょっと驚いちゃったんだよ」
それは本当だった。それに自分と翔の考えが同じだったことは最高に嬉しいことだった。
「本当? 本当にそう思ってる?」
「ああ、本当だ。最高の名前だよ」
「良かった。じゃあ、あとで」
そこで電話が切れたが、耳に当てた受話器を離せないでいた。まだ心が震えていた。その名前を口に出すと、また心が震えた。余りにも素晴らしい名前だからだ。それは自分が追いかけてきた人生そのものだったし、翔から孫娘へ繋がる無限の可能性を秘めていた。
「ありがとう」
プープーと鳴る受話器を耳に当てたまま礼を言った。
*
部屋に戻って、本棚の引き出しから半紙を取り出し、テーブルの上に置いた。そして椅子に座って筆ペンを持ち、初孫の名前を書いた。それを声に出して読んでみた。
「はなむら・ゆめ」
まだ見ぬ初孫の顔を想像した瞬間、瞼が熱くなった。
「夢ちゃん」
半紙に向かって呼びかけた。
「おじいちゃんだよ」
呟いた瞬間、祖父の顔が浮かんできた。膝の上に乗せて可愛がってくれた日々が蘇ってきた。すると、自分も好々爺になる時が来たことを悟った。それは、考えていたことを実行に移す日が来たことを意味していた。
*
産婦人科から帰ってきた翔に、社長を譲ることを伝えた。驚くかと思ったが、そうではなかった。「覚悟はできています」と真っすぐな目が返ってきた。
「おじいちゃんが亡くなった日に私が産まれるという運命、そして、世界へ羽ばたけという想いを込めてつけてくれた翔という名前、小さな頃からお父さんの背中を通して見てきた酒類ビジネスの世界、そのすべてが私に大きな影響を与え、導いてくれました。華村家に生まれたことを誇りに思っています。心から感謝しています」
翔は真剣な表情のまま頭を下げた。
「今日、1月1日は、おじいちゃん、お父さん、私の誕生日です。その1月1日に夢が産まれました。4代続けて同じ日に誕生するという、奇跡としか言いようがないことが起こったのです。なんと素晴らしい日なんでしょう」
翔は晴れやかな顔になり、一点の曇りもないその目で宣言するように力強く言い切った。
「華村酒店の光輝く未来を必ず創ってみせます」