〜Midnight Eden〜 episode2.【蛍狩】
ドラッグストアの袋を提げて六号棟の川島宅に帰宅した。玄関に入った途端に香る匂いは懐かしい煮物の匂い。
『おかえり。遅かったね。今日は“仕事”はやらないって言ってなかった?』
「買い物してた」
キッチンに立つ川島は真剣な顔で鍋の中身を覗き込んでいた。
煮物の匂いには種類がある。光は鍋の中身を見ずに煮物の正体を口にした。
「肉じゃが?」
『よくわかったね。初めて作ったんだ。味付けが上手くできているといいんだけど』
慣れない料理に悪戦苦闘しながらも楽しそうに煮物の世話を焼く川島は良い父親、良い旦那に見えた。妻と娘が存命の頃は家事をしなかったと言うのだから、皮肉なものだ。
娘の蛍が食べられなかった川島の手料理を光は不思議な罪悪感と共に飲み込んだ。肉じゃがは味は薄いが、じゃがいもが柔らかくて美味しかった。
『昼間、刑事が来たよ』
「会社に?」
『ああ。来たのは女と男の二人だ。名刺を持ってくるよ』
席を立った川島は小さな紙切れを持って戻ってきた。名刺の名前は神田美夜、所属は警視庁刑事課となっている。
「川島さんが疑われてるの?」
『6月2日のアリバイを確認されたよ。三人の被害者が蛍を殺したあの男に似ていると思うかと聞かれた』
「警察もそれほど無能ではないみたいだね」
『僕は警察に見張られているかもしれない。しばらくは動かないでおこう』
「……わかった。川島さんが動けないとなると、車が使えないもんね」
しばらく無言を共有して二人は食事に専念した。不揃いな大きさ、形のじゃがいもを頬張りながら、光は川島不在でも成り立つプランを模索する。
警察が川島の存在に気付くタイミングが予想よりも早い。この復讐ゲームもそろそろ潮時か。
タイムリミットは蛍の命日の6月10日。どうせその日になれば全てが終わる。
殺せるなら、なんでもいい。
殺せるなら、誰でもいい。
「車出してくれる人に心当たりあるんだ。頼んでみる」
『その人は君がしていることを知っているの?』
「知ってるよ。私に人殺しのやり方を教えてくれた人」
『男?』
川島は何故そんなことを聞くのだろう。協力者の性別など関係ないはずだ。
「男だよ。だから川島さんは何もしなくていいよ。獲物は私だけで狩る」
計画実行は予定通り今週土曜日。
川島に狙いを定めた警察も、光には辿り着けない。彼女は幽霊みたいなものだから。
入浴前に歯磨きをしていると洗面台の鏡に川島の姿が映った。後ろに立つ彼と鏡越しに視線を合わせても光は気にせず、赤色の歯ブラシで歯磨きを続ける。
歯磨きを終えてタオルで口元を拭う光の華奢な身体に川島の痩せ細った腕が絡み付いた。
「お風呂入る? さっき浴槽の掃除したから、お湯溜めようか?」
『まだいい』
顔だけを後ろに動かした光の唇に川島の唇が接近する。歯磨き粉のミントの味が粘性のある唾液に侵食された。
口内に土足で流れ込む男の味にミントの爽快感はたちまち消え去る。咀嚼音に似た唾液の交換の音は、光にこの後の行為を彷彿させた。
「……歯磨き粉の味しない?」
『するね』
「いつもヤる時しかキスしないじゃない」
『そうだね』
今日の川島は妙だった。普段は光が仕掛けなければ求めてこない彼の手は、彼女の素肌に吸い付いている。
鏡の中の男と女。男の手が女のTシャツをたくしあげ、柔らかな乳房は男の手によって形を変える。
鏡の世界で展開する可視化された情欲。
虚像と実像。
こちらの世界はあちらの世界。
あちらの世界はこちらの世界。
あちらの世界は蛍。
こちらの世界は光。
『おかえり。遅かったね。今日は“仕事”はやらないって言ってなかった?』
「買い物してた」
キッチンに立つ川島は真剣な顔で鍋の中身を覗き込んでいた。
煮物の匂いには種類がある。光は鍋の中身を見ずに煮物の正体を口にした。
「肉じゃが?」
『よくわかったね。初めて作ったんだ。味付けが上手くできているといいんだけど』
慣れない料理に悪戦苦闘しながらも楽しそうに煮物の世話を焼く川島は良い父親、良い旦那に見えた。妻と娘が存命の頃は家事をしなかったと言うのだから、皮肉なものだ。
娘の蛍が食べられなかった川島の手料理を光は不思議な罪悪感と共に飲み込んだ。肉じゃがは味は薄いが、じゃがいもが柔らかくて美味しかった。
『昼間、刑事が来たよ』
「会社に?」
『ああ。来たのは女と男の二人だ。名刺を持ってくるよ』
席を立った川島は小さな紙切れを持って戻ってきた。名刺の名前は神田美夜、所属は警視庁刑事課となっている。
「川島さんが疑われてるの?」
『6月2日のアリバイを確認されたよ。三人の被害者が蛍を殺したあの男に似ていると思うかと聞かれた』
「警察もそれほど無能ではないみたいだね」
『僕は警察に見張られているかもしれない。しばらくは動かないでおこう』
「……わかった。川島さんが動けないとなると、車が使えないもんね」
しばらく無言を共有して二人は食事に専念した。不揃いな大きさ、形のじゃがいもを頬張りながら、光は川島不在でも成り立つプランを模索する。
警察が川島の存在に気付くタイミングが予想よりも早い。この復讐ゲームもそろそろ潮時か。
タイムリミットは蛍の命日の6月10日。どうせその日になれば全てが終わる。
殺せるなら、なんでもいい。
殺せるなら、誰でもいい。
「車出してくれる人に心当たりあるんだ。頼んでみる」
『その人は君がしていることを知っているの?』
「知ってるよ。私に人殺しのやり方を教えてくれた人」
『男?』
川島は何故そんなことを聞くのだろう。協力者の性別など関係ないはずだ。
「男だよ。だから川島さんは何もしなくていいよ。獲物は私だけで狩る」
計画実行は予定通り今週土曜日。
川島に狙いを定めた警察も、光には辿り着けない。彼女は幽霊みたいなものだから。
入浴前に歯磨きをしていると洗面台の鏡に川島の姿が映った。後ろに立つ彼と鏡越しに視線を合わせても光は気にせず、赤色の歯ブラシで歯磨きを続ける。
歯磨きを終えてタオルで口元を拭う光の華奢な身体に川島の痩せ細った腕が絡み付いた。
「お風呂入る? さっき浴槽の掃除したから、お湯溜めようか?」
『まだいい』
顔だけを後ろに動かした光の唇に川島の唇が接近する。歯磨き粉のミントの味が粘性のある唾液に侵食された。
口内に土足で流れ込む男の味にミントの爽快感はたちまち消え去る。咀嚼音に似た唾液の交換の音は、光にこの後の行為を彷彿させた。
「……歯磨き粉の味しない?」
『するね』
「いつもヤる時しかキスしないじゃない」
『そうだね』
今日の川島は妙だった。普段は光が仕掛けなければ求めてこない彼の手は、彼女の素肌に吸い付いている。
鏡の中の男と女。男の手が女のTシャツをたくしあげ、柔らかな乳房は男の手によって形を変える。
鏡の世界で展開する可視化された情欲。
虚像と実像。
こちらの世界はあちらの世界。
あちらの世界はこちらの世界。
あちらの世界は蛍。
こちらの世界は光。