〜Midnight Eden〜 episode2.【蛍狩】
獲物を追い詰める狩人は躊躇なくトリガーを引いた。冷たいコンクリートに大の字に横たわる男を見下ろす木崎愁は、愛用のワルサーPPKを懐のホルスターに収める。
『データは?』
『問題ありません』
殺した男は夏木コーポレーションに潜り込んだ産業スパイだ。夏木コーポレーションの背後には、関東を牛耳る指定暴力団の和田組がついている。
今回の刺客は和田組と敵対する東北のヤクザから送り込まれていた。
『後処理は任せる』
犯罪の異臭がする倉庫を出た彼は表で待機していた車に乗車した。
黒色のスマートフォンにはトークアプリに未読メッセージが届いている。未読のメッセージ件数は三件。すべて仕事の連絡だ。
そのうちの一件に愁は眉をひそめた。
もうひとつ、白色のスマートフォンにも未読のメッセージが一件届いている。こちらは同居人の夏木伶からのメッセージだ。
『金曜の夜に車を一台用意してくれ』
『どのタイプを?』
『成人の男ひとり押し込める広さのワゴンでいい』
裏の仕事に関わる者は皆、同じ穴のムジナだ。部下にはそれだけ言えば事足りる。
午前零時過ぎに赤坂のマンションに帰宅した愁を待っていたのは、パジャマ姿の舞。彼女は目を輝かせて愁に抱きついた。
「お帰りなさぁーい」
『まだ起きていたのか』
「愁さんを待ってたの。お兄ちゃんは愛佳《あいか》さんの家に泊まるんだって」
『知ってる。さっき連絡来た』
まとわりつく舞をやんわりと引き離して愁はリビングの扉を開けた。後ろからスリッパの足音が追いかけてくる。
「舞にはお泊まり禁止してるのに自分だけズルい。今頃は愛佳さんといちゃついてるんだよぉ!」
『伶は舞には過保護だからな』
「シスコンも困るよね。彼女いるくせに妹離れしてくれないんだもん」
舞にコーヒーを頼もうと思ったが、以前に舞が淹れたコーヒーの味を思い出して愁は諦めた。使用する豆も器具も普段と同じなのに、舞が淹れたコーヒーは非常に不味い。
どうしてあんなにコーヒーが不味くなるのか疑問だ。
伶が舞に一切の家事をさせない理由がわかる。
舞が中学に入る頃には自分の洗濯物は自分で洗うようにはなったが、それは下着を兄に見られたくない思春期の羞恥心。
洗濯以外の料理や部屋の片付けは絶望的だ。舞はいつまでも、何もできないお嬢様だった。
「ねーねー、愁さぁーん。一緒に寝よぉ?」
『絵本の読み聞かせなら伶がいる時にしてもらえ』
「愁さんは舞のこと五歳児だと思ってるぅ? 邪魔者のお兄ちゃんがいないからおねだりしてるの!」
大きなソファーに埋もれる愁に舞は寄り添った。近付いた舞の顔は頬が膨れている。
五歳児よりも厄介な高校生だ。
学力の面でも試験前に伶や愁が勉強を教えているから、赤点や追試を免れている。
夏木家の力があれば大学へのコネ入学もコネ入社も雑作もない。
しかしこのまま、何もできないお嬢様のままで大人になっていくのかと思うと末恐ろしく、今から胃が痛い。むしろ舞は社会人になって働く気すらないのかもしれない。
『データは?』
『問題ありません』
殺した男は夏木コーポレーションに潜り込んだ産業スパイだ。夏木コーポレーションの背後には、関東を牛耳る指定暴力団の和田組がついている。
今回の刺客は和田組と敵対する東北のヤクザから送り込まれていた。
『後処理は任せる』
犯罪の異臭がする倉庫を出た彼は表で待機していた車に乗車した。
黒色のスマートフォンにはトークアプリに未読メッセージが届いている。未読のメッセージ件数は三件。すべて仕事の連絡だ。
そのうちの一件に愁は眉をひそめた。
もうひとつ、白色のスマートフォンにも未読のメッセージが一件届いている。こちらは同居人の夏木伶からのメッセージだ。
『金曜の夜に車を一台用意してくれ』
『どのタイプを?』
『成人の男ひとり押し込める広さのワゴンでいい』
裏の仕事に関わる者は皆、同じ穴のムジナだ。部下にはそれだけ言えば事足りる。
午前零時過ぎに赤坂のマンションに帰宅した愁を待っていたのは、パジャマ姿の舞。彼女は目を輝かせて愁に抱きついた。
「お帰りなさぁーい」
『まだ起きていたのか』
「愁さんを待ってたの。お兄ちゃんは愛佳《あいか》さんの家に泊まるんだって」
『知ってる。さっき連絡来た』
まとわりつく舞をやんわりと引き離して愁はリビングの扉を開けた。後ろからスリッパの足音が追いかけてくる。
「舞にはお泊まり禁止してるのに自分だけズルい。今頃は愛佳さんといちゃついてるんだよぉ!」
『伶は舞には過保護だからな』
「シスコンも困るよね。彼女いるくせに妹離れしてくれないんだもん」
舞にコーヒーを頼もうと思ったが、以前に舞が淹れたコーヒーの味を思い出して愁は諦めた。使用する豆も器具も普段と同じなのに、舞が淹れたコーヒーは非常に不味い。
どうしてあんなにコーヒーが不味くなるのか疑問だ。
伶が舞に一切の家事をさせない理由がわかる。
舞が中学に入る頃には自分の洗濯物は自分で洗うようにはなったが、それは下着を兄に見られたくない思春期の羞恥心。
洗濯以外の料理や部屋の片付けは絶望的だ。舞はいつまでも、何もできないお嬢様だった。
「ねーねー、愁さぁーん。一緒に寝よぉ?」
『絵本の読み聞かせなら伶がいる時にしてもらえ』
「愁さんは舞のこと五歳児だと思ってるぅ? 邪魔者のお兄ちゃんがいないからおねだりしてるの!」
大きなソファーに埋もれる愁に舞は寄り添った。近付いた舞の顔は頬が膨れている。
五歳児よりも厄介な高校生だ。
学力の面でも試験前に伶や愁が勉強を教えているから、赤点や追試を免れている。
夏木家の力があれば大学へのコネ入学もコネ入社も雑作もない。
しかしこのまま、何もできないお嬢様のままで大人になっていくのかと思うと末恐ろしく、今から胃が痛い。むしろ舞は社会人になって働く気すらないのかもしれない。