お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
「あ、でもそれも美味しそうです。どこを囓ったらなにがでてくるのかわからないのが楽しそう」

 言いながら箸を取る。

「それにしても、沙織ちゃんの旦那様があの守頭瑛士だなんてね。珍しい名字だなとは思ったけど」
「結婚前はもっと珍しい名字だったと思いますよ」

 というか、日本に数件しかない名字ではないだろうか。
 それぐらい御所頭という名は珍しく、そしてずっと閉鎖されたまま時代に取り残された一族なのだ。

「うーんでも、働かなくても食べて行けそうじゃない? よく反対されなかったわね」
 
 沙織もそう思う。

 ――夫婦なのだから対等の権利がある。

 そう告げられた時、思い切って仕事をしたいと申し出た。

 黙って働くこともできたが、後ろめたい気持ちを抱くのは嫌だったし、なにも言わず家を空けるのはよくないように思えたからだ。

 駄目だ、と言われるのを覚悟で、駄目だと言われても働く決意で言えば、守頭はあっけないほど簡単に「わかった」と答えた。

 ただし条件はあった。

 一つ、家事と両立するのがきついようならすぐに守頭に申し出て、家政婦をサポートに入れること。
 一つ、習い事も同様に、したくないならしなくていい。

 ただし、一度やり出した以上、仕事はきちんとやり遂げること。

(ビジネスは一人で回らない。周りに頼るのと同様に周りからも頼られる。中途半端な遊びや出来心で余所に迷惑をかけるな)

 迷惑をかけるなら、俺だけにしておけ。とさえ口にした。

 最後に、雇用契約書をきちんと貰って守頭に見せること。だった。

 変な会社に入ったら痛い目に合うので、ちゃんとしているかどうかを確認したいらしい。
 存外心配性なんだな、と思いつつ納得し会社名だけはわかっていたので伝えると、そこなら問題は無いと思うが、契約書は必ず貰うように。と言われた。

(そうだ。今日できあがるって総務担当の河合さんが言っていたから、貰って帰らないと)

 ついでに、帰り道で方向が一緒の篠原さんと食材を買い物しよう。
 土日は珍しく守頭が休みだと言っていたのだ。一緒に御飯を食べられるかもしれない。
 そう思うと、沙織は余計に気持ちが浮き立っていくのを感じ、午後の仕事への意欲もますます湧いてくるのだった。


 今日は早く帰れる。と、相変わらずシンプルで要件だけのメッセージがスマートフォンに入ったのを、二度、三度と眺めつつ沙織は仕事用のスーツを脱いで、チェック柄でマキシ丈のシャツワンピースに着替える。
 それから風呂にお湯を張り、エプロンを着けて気合いを入れる。

(今日は、鍋!)

 一人だと食べるのに物足りなさのようなものを感じてしまうが、二人分あるとなんだか豪勢に見えるし、食べる量も調整しやすいので、最近の週末は鍋にはまっているのだ。

 ぶりと海老のいいものが店先にあったので、そこにホタテを足して海鮮鍋にしようと決めていた沙織はスーパーの袋から食材を出しては、アイランドキッチンの広い作業台に全部並べる。

 野菜を切って皿に並べてとしていると、予想よりも一時間ほど早く守頭が返ってきてリビングに顔を覗かせた。

「お帰りなさいませ旦那様」
「……ただいま」

 いつも通り、ワンテンポ遅れて返事が返る。最初は戸惑っているのかと思ったが、どうやら照れているのとはにかんでるのが同じらしいことに気付いた。

 会話が増えると相手を知れるとはよく言ったもので、当初は西洋人形のように綺麗だけど表情が変わらない冷たい雰囲気の顔だなと思っていたのが、この頃ではちょっとした視線の動かし方や間の取り方で、なにを考えているのかわかるようになってきて、それがちょっと楽しい。

「この間、食べたいと行っていた和菓子を買ってきた」

 そう言いつつ守頭は手に提げていた千鳥格子柄の小さなショッパーを目線の高さまで掲げる。

「わ、嬉しいです」

 最近東京にできたばかりのお店で、ウサギの形をした最中に同封してある瓶の中にあるあんこを詰めて食べるお菓子なのだが、甘すぎないこしあんと季節の果物や栗などを使ったあんの二種が入っており、片方つけて食べてもよし、両方一変にはさんでもよしと味の変化がいろいろ楽しめると人気なのだ。

 うきうきしながら受け取って沙織は守頭に言う。

「御食事の後にいただきましょう。それと、今日は鍋です。寒かったでしょうから先に風呂に入って、暖まってこられたらいかがです?」

 和菓子の箱をリビングのコーヒーテーブルの上に出しつつ伝えれば、守頭は少し考えた後で自室で着替え台所に戻ってきた。

「手伝う」
「えっと、鍋ですよ?」
「鍋なら材料を切って揃えておけば、後からでも仕上げられるだろう。食べてゆっくり時間が取れるほうがいいと思うが」

 言うなり、沙織が洗った人参を手に取り剥いていく。

 仕事がきついなら家政婦を入れるという約束をしたが、そうでなくとも守頭は決して沙織一人に家事を担わせず、手伝えるところは進んでやってくれるのがありがたい。

 実家の父なんて、常に母と家政婦任せで自分は書斎でパイプを吹かして本を読むか、一人で将棋をしているだけだったものだが。

 海外生活が長いから、こういう家事のシェアに抵抗がないのかもしれないし、ひょっとしたら沙織の手が荒れるのが嫌なのかもしれない。

 特になにを言う訳でもないが、洗面所や台所の隅に置いている、シアバター入りのハンドクリームが少なくなると、いつの間にか新品が補充してあるし、外に出ると唇が乾いて痛むかもしれないとそっけなく言いながら、結構なブランドの保湿リップをぽんと渡してきたりと、意外に細やかに気を遣ってくれる。

 欲しいものを与えられて来た故に、欲しいとさえ思わなかった沙織ではあるが、必要なものを必要なときにそっと渡されるのは、高価なプレゼントより思いやりが勝っているようで嬉しいと感じてしまう。
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