お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
(そんなわけで、今、私はこんな処にいるのですよ)

 どこか白けた気持ちで、沙織は目の前の男性を見た。

 全体的にのっぺりとした顔に狐のような細目をした男だ。中堅建築ゼネコンの社長の息子で会社では専務をしているというが、架橋の設計をするよりも平安貴族の服装をさせて悪巧みしているほうが似合っている感じ。
 スーツこそ高級でよいものを来ているが、なんだか似合ってない上にネクタイばかりが派手で主張が激しい上に、身動きごとにちらりと除く金ぴかのいかにも成金といったごつい時計を合わせているのが本人の自意識と虚栄心を表している。

(お父様ってば、相変わらず人を見る目がないんだから)

 ひょっとしたら相手を選ぶことができないほど、実家の窮状が酷いのかもしれないが、それにしてもまだマシな人を選ぶ余地はなかったのかと言いたい。

 今日、この男と会ってからこちらというもの、不躾な視線で舐め回すように全身、とくに振袖の上に乗っかっている沙織の顔と胸元をじろじろ見ているのが不愉快で仕方がない。

(見て面白い顔でもないでしょうに)

 沙織は紅茶に移る自分の顔を見て内心で息を吐く。

 誰もが振り返るほどの美人という訳でもないが、平凡というにはやや古風めいた顔立ちだと思う。
 祖母譲りの目の大きさと黒髪の艶やかさは人より優れているが、他がいけない。
 色の薄い小さな唇も、端が下がり気味の眉もどこか困っているようで、そのせいで優柔不断か意志が弱げに見えてしまう。
 輪郭もどこかぼんやりしていて、卵形ではあるのだが肌が白いためかなんとなく全体の印象がはっきりしない。

 箱入りのお嬢様らしい外見といえばそうだが、そのせいで勝手に控えめだと思い込まれて、あとから期待外れだとか口がすぎるとぼやかれることが多いのは不満だ。

 総合して、和服を着て紅やおしろいを塗れば美人に見えるが、洋服を着ると真昼の月のようにはっきりしない――地味でどこか場違いな印象になる。

(たぶん、髪がおかっぱというか、日本人形のようなのもいけないのかも)

 染めたり、パーマをかけてみたいが、そんなことを美容担当の家政婦に言えば、白目を剥いて倒れられかねない。
 その後は父の大激怒と部屋か倉への軟禁がまっているのはお約束。
 
 もっとも今日は紅葉と萩を散らした振袖に和の紅を掃いてと、見た目にあわせた化粧をしているので、そこそこ見られる顔にはなっているが。

(だとしても、こんなにじろじろ見るなんて)

 込み上げる不快感をごまかすために、目の前に置かれた伊万里焼のティーカップを手に取り頼んだ紅茶を口にするが、飲む口元を見てニヤリと笑われれば、味も風情もあったものではない。

 折角、ホテルの喫茶室のいい紅茶だというのに。
 そんな不満を押し隠し、沙織は目の前の男へちらりと視線を向け、相手にばれないよう心の中だけで溜息を吐く。

 場所は京都市内にある、できたばかりなラグジュアリーホテル。
 プロジェクトの指揮を執って作ったと男から自慢げに話されたが、沙織にとっては居心地の悪い空間でしかなかった。

 天井から下がるクリスタルシャンデリアに、ロココ調の壁紙。
 飴色になるまで磨かれた優美な家具はイギリスのジョージアン風。
 随所に飾られている花瓶は古伊万里風だが絵付けの色や金彩が華々しくて、豪華さよりも安っぽさを感じさせる。
 こういったものが一般には受けたり、贅沢に感じられるのかもしれないが、まるで統一感というものがない。

 総じて派手で中身のない箱物ホテル。これならどこかの温泉地の古旅館のほうがまだくつろげるというもの。

 男と会うのは二度目だが、これでもうお腹いっぱいという気持ちだ。
 とはいえ一度目は東山にある歌舞伎場で、客席を挟んだ向かい合わせの二階桟敷席でのご対面。
 父親から見合いをしろ、いやです。働きます。女が働いて稼ぎになるか。などの喧嘩をした直後、気分転換にと母が熱心に誘うので、渋々ながら出向いてみれば、なんのことはない、それ自体がお見合いの前哨戦だったという訳だ。

 相手側から手で示され母が頭を下げるので、親の知り合いかと沙織も頭を下げたのだが、男はもちろん、男の親もこちらに頭をさげない上、演じられる歌舞伎にはまるで目もくれず、沙織たちのいる桟敷ばかり見ていたので、変だなとは思っていた。

 ともかく落ち着かないまま歌舞伎を見終わって家へ帰ったその翌朝、白米に味噌汁、焼き魚といつもと代わり映えのない純和風の朝食をつついていたその食卓で、〝お見合いの相手方からお前の人となりを知るため、今一度お会いしたいと連絡があった〟と父に言われ、味噌汁を吹き出しかけた。

 それが十日前のこと。

(お見合いだとわかっていれば、大酒を飲んで、ギャルのように騒いで台無しにして差し上げたのに)

 沙織にはどちらもたしなみはないが、正統派な料亭でこれぞお見合いという席に連れて行かれていたならば、似たようなことをしていたのは間違いない。

 両親もそれがわかっていたからこその、不意打ち見合いだったのだろう。
 相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべコーヒーを口にする男を、やっぱり白けた気分で見ながら、沙織はさて、と思う。
 どうやってこのお見合いをぶち壊してやろうか。
 幸いにも、二度目とあって互いの両親も仲人も同席していない。

(さすがに喫茶室は他のお客様のご迷惑になるから、慎むとして。さて、どこで仕掛けましょうか)

 そんなことをつらつらと考えていた時だ。

「では行きましょうか」

 変な猫なで声で言われ、え? と思う。
 お見合いを壊す計画を立てるのに夢中で、相手の話を聞き落としていたのか。変だな、そんなはずはないのだけれど。と首を傾げれば、相手は当たり前に立ち上がり先を行く。

「あ、待ってください」

 このままで帰ることはできない。なんとしてもお断りしなくてはと着物の裾を気にしつつ歩く。

 先日の歌舞伎でも振袖だったというのに、今日の御着物も振袖を着せられた。
 家では紡か小袖で通しているから、袖が邪魔で仕方が無い。

 見苦しくならないよう気を付けながら、早足で相手を追いかける。
 どこへ行くのだろう。普通ならどこへ行くのだろう。

 生まれてから二十三年、彼氏どころかデートすら経験のない沙織には皆目見当がつかない。とはいえ、まだ昼日中。
 買い物かランチあたりだろう。だったら飛びっきり高いものを頼んで、こんな浪費妻はいらないと思わせればいいのだろうか。
 あれこれ思案しつつ相手を追えば、なぜかホテルの出入口ではなく奥へと進まれる。

 道を間違えたのかもしれないと相手を追って行き、エレベーターホールまで来てはたと立ち止まる。
 このホテルを建築するプロジェクトに関わっていたと自慢していた彼が、迷うことなんてあるだろうか?

 ひょっとしてホテルのレストランで御食事なのかなと考えていると、彼はホールの一番端にある、上層階専用エレベーターの前で沙織を待っていた。
 ここに来て、なにかおかしいと気付いて立ち止まれば、相手はより嫌らしいニヤニヤ笑いとなりながら沙織の横へ並ぶ。

「えっと……」

 違いますよ、と告げようとした途端、唐突に方を抱かれてぞわりと肌が粟立つ。

「なにするんですか」

 声は大きくないものの、きっぱりはっきりと批難の意志を伝えるも、相手はかまわず、どころか沙織の肩を掴む指に力を込める。

「どうしたんですか。行きますよ、さあ」

 痛みを感じるほど掴まれたのも不快なのに、あろうことか腰まで手が伸びてくる。

「行くって、どこへですか」

 なんとなく予想が付いていたものの、それが現実でないことを祈りながら沙織が尋ねれば、相手はあからさまにこちらを馬鹿にした顔をして口を開く。

「どこって客室に決まっているじゃないですか。スイートを私の名前で通年予約していますから、フロントは通さなくて大丈夫ですよ」

 などと言われても、まったく大丈夫な気がしない。
 急速に喉が渇いてきて、沙織は思わず喉に手をあてる。
 すると男は息がかかるほど顔を寄せて耳元へ囁く。

「お見合いを受けるかどうか、人柄だけじゃなくて身体の相性も知っておくべきでしょう。ねぇ?」

 猫なで声で言われても、お見合い自体が初めてであるだけでなく、お見合いだという認識もないまま、勝手に話を進められている沙織にはそれが一般的なことなのかどうかもわからない。

 だけど、このまま男について部屋へ行けば、なにが待っているかはわかる。
 失礼ですが、私、未婚のうちは男性と二人きりにならないよう父から言われているのです。そう言うつもりだった。なのにまるで声がでてこない。
 喉の奥に息がつっかえたみたいになって、それとは逆に背筋が冷たく冷えていき、手足が硬く緊張する。

 逃げなければ。と目を後ろへやろうとすれば、先を読んだように男が口を開く。

「貴女もわからないではないでしょう。実家への融資がなくなれば貴女の父君はもちろん、母君はすぐに生活に困ることになると」

 だから大人しく従ったほうがいいですよと、いい人めかせて言われても悪寒も鳥肌も止まらない。

 確かに生活には困る。とくに母など沙織以上の箱入り娘で、あらまあ、と困ったわ、以上の事を口にしない温厚な人物で――だから、父以上に世間にうとい。
 苦労などしたこともなく、家事も一通りはできるが、大体は家政婦まかせで生きてきたのだ。
 いきなり狭いアパート暮らしからパートしろと言われても、まるで対応できそうにない。

 断るつもりで来たはずなのに、どうしてか声にならない。
 いざこうして脅されると、本当に断っていいのか、両親に苦労させていいのかと決意より恐怖が勝ってしまう
 ためらい、ますます声を出しづらくなっていると、いらついたのか男がやや強めに沙織の背中を押す。

「ッ……」

 そのまま二三歩よろめいて、開いたエレベーターの扉をくぐるまであと一歩という時だった。

「そこでなにをしている!」
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