お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
◇◆◇
季節は移ろい、十一月になろうとしていた。
街路樹は紅や黄色の葉を散らし、路面に鮮やかな模様を作っている。
その様子を何とはなしに眺めながら、守頭瑛士はつい先日の出来事を思い出す。
珍しく打合せが早く終わったので、少し寄り道して妻――沙織が食べたがっていた和菓子を購入し、真っ直ぐに家に帰った。
すると沙織も定時で仕事が終わったらしく、今から夕食の支度をしようとしていたところで、なにもせずに居るのは落ち着かないのと、なにより沙織の近くに居たいのとで料理を手伝った。
結婚して働き出すまではほとんどと言っていいほど和服一辺倒だった沙織だが、仕事を初めてからは着替えやすいのと楽なことから平日は洋服で過ごすようになっていた。
その日はシャツワンピースで、袖が少しふっくらしているところが愛らしく、こういう服装も似合うな。今度は違う雰囲気の服でも贈ってみようかなどと考えていた。
そこまではよかったのだが、料理をするのに邪魔になってきたのだろう。
沙織がポケットから出したヘアゴムを使って髪を、高いところで一つにまとめて結んだ。いわゆるポニーテールという奴だ。
さらさらと艶めきしなやかに流れる黒髪の間から、ほっそりした白いうなじが覗く様は、シャツワンピースというラフな服装とは裏腹に妙に色っぽく、守頭は目のやり場に困る。困るのだが男性の平均より十センチは身長が高い守頭に対し、沙織は小柄で、ちょっと視線を落とせばすぐにうなじが――どうかすると襟口の隙間からちらりと背骨の筋までがのぞく。
――隙だらけにもほどがある。
そんなに無防備でどうするというのだ。働くようになってますます沙織は活き活きとまるで光を纏っているかのように華やかさと輝きを増しているのに。
本人は仕事が楽しくてしょうがない。としか思って居ないようだが、日々が活力に満ちている人間には独特のオーラがあり、それはあらゆる人の目を奪う。
なのに本人がまるで無防備なのだから頭が痛い。
しかも夫であると油断しているのか、それとも異性として意識さえされていないのか、守頭に対し警戒するということがまるでない。
男など、切っ掛けがあればいつだって豹変する、危ない生き物だ。
それを少し教えてやりたくて、一緒に風呂に入るかと冗談半分、本気半分に言えば、初心この上ない反応を返されてしまう。
たまらない、愛おしい。そう思うほどに笑みがこぼれ、からかうだけではすまなくなって、彼女の額に口づけた。
その甘美な瞬間は一週間以上経った今でも、鮮やかに思い出せる。
震えるまつげ、薄く開いた唇。
守頭の唇が肌に触れた時、一瞬だけわななく身体。
どれもが愛おしくて、このまま抱いてしまおうかとさえ思った。
もっともそうできない理由が守頭にはあるが。
沙織の実家である御所頭家に対し、守頭の名を使い投資詐欺を働いた者がいることは事実。
しかも始末が悪いことに、その詐欺師が使った名刺も社章も正規のもので――つまり内通者が社内にいる。
守頭になんの非もないとは言い切れない。そして、その詐欺師が沙織を邪魔に思って居るのであれば、同じことをする可能性は高い。
なら、まずそちらを片付けるべきではないだろうか。
自分の部下、あるいは部下を装った内通者が沙織の家を破産ギリギリまで追い込んだのに、トップである自分が知らぬ顔でいていいはずはない。
まずは夫となって身辺を守り、同時に犯人を捕まえ御所頭家に賠償させる。
すべてはそれからだ。
人によっては責任を感じすぎだと笑うかもしれないが、こと惚れた女の為であれば、道化にも悪魔にでもなる覚悟がある。
不安要素を取り除く一方、彼女が望む生き方を――と、京都の頃と同様の暮らしを手配したのだが。
(沙織が望んだのは、籠の中の贅沢な暮らしではなく、自分の手でなにかを成し遂げる自由だったとはな)
箱の中の令嬢。その単語に惑わされすぎていた。
彼女は贅沢な暮らしも与えられる品々や、押しつけられた稽古事も、なにひとつ欲しがってはいなかった。
考えれば、最初の出会いからそうだった。
沙織は高価な花束より、目の前で凜と咲く一輪の乙女椿を望んで空に手を伸ばしていた。二階から落ちるかもしれない危険をまるで顧みず、それを自分でつかみ取ることに意味があるのだという風に。
そして守頭は、自ら欲して手を伸ばす沙織の姿に魅せられたのだ――。
だから、仕事をしたいと言われた時も反対はしなかった。
やってみたいことはやるといい。もしくじけても自分が受け止めて慰める。そのために沙織の側にいるのだから。
早く、恋に目覚めればいい。
守頭を夫としてではなく、男として見て、願わくば好きだと感じてくれれば。
日々そう思う。今このときでさえ。
(いや、とくに最近は、だな)
知らず吐いた溜息が窓ガラスを白く曇らせる。
それで自分が思う以上に恋わずらっていることに気付いた守頭は苦笑しつつ、社長の椅子に座り腕を組む。
沙織の側にいる、もう一人の男の存在を思い出したからだ。
季節は移ろい、十一月になろうとしていた。
街路樹は紅や黄色の葉を散らし、路面に鮮やかな模様を作っている。
その様子を何とはなしに眺めながら、守頭瑛士はつい先日の出来事を思い出す。
珍しく打合せが早く終わったので、少し寄り道して妻――沙織が食べたがっていた和菓子を購入し、真っ直ぐに家に帰った。
すると沙織も定時で仕事が終わったらしく、今から夕食の支度をしようとしていたところで、なにもせずに居るのは落ち着かないのと、なにより沙織の近くに居たいのとで料理を手伝った。
結婚して働き出すまではほとんどと言っていいほど和服一辺倒だった沙織だが、仕事を初めてからは着替えやすいのと楽なことから平日は洋服で過ごすようになっていた。
その日はシャツワンピースで、袖が少しふっくらしているところが愛らしく、こういう服装も似合うな。今度は違う雰囲気の服でも贈ってみようかなどと考えていた。
そこまではよかったのだが、料理をするのに邪魔になってきたのだろう。
沙織がポケットから出したヘアゴムを使って髪を、高いところで一つにまとめて結んだ。いわゆるポニーテールという奴だ。
さらさらと艶めきしなやかに流れる黒髪の間から、ほっそりした白いうなじが覗く様は、シャツワンピースというラフな服装とは裏腹に妙に色っぽく、守頭は目のやり場に困る。困るのだが男性の平均より十センチは身長が高い守頭に対し、沙織は小柄で、ちょっと視線を落とせばすぐにうなじが――どうかすると襟口の隙間からちらりと背骨の筋までがのぞく。
――隙だらけにもほどがある。
そんなに無防備でどうするというのだ。働くようになってますます沙織は活き活きとまるで光を纏っているかのように華やかさと輝きを増しているのに。
本人は仕事が楽しくてしょうがない。としか思って居ないようだが、日々が活力に満ちている人間には独特のオーラがあり、それはあらゆる人の目を奪う。
なのに本人がまるで無防備なのだから頭が痛い。
しかも夫であると油断しているのか、それとも異性として意識さえされていないのか、守頭に対し警戒するということがまるでない。
男など、切っ掛けがあればいつだって豹変する、危ない生き物だ。
それを少し教えてやりたくて、一緒に風呂に入るかと冗談半分、本気半分に言えば、初心この上ない反応を返されてしまう。
たまらない、愛おしい。そう思うほどに笑みがこぼれ、からかうだけではすまなくなって、彼女の額に口づけた。
その甘美な瞬間は一週間以上経った今でも、鮮やかに思い出せる。
震えるまつげ、薄く開いた唇。
守頭の唇が肌に触れた時、一瞬だけわななく身体。
どれもが愛おしくて、このまま抱いてしまおうかとさえ思った。
もっともそうできない理由が守頭にはあるが。
沙織の実家である御所頭家に対し、守頭の名を使い投資詐欺を働いた者がいることは事実。
しかも始末が悪いことに、その詐欺師が使った名刺も社章も正規のもので――つまり内通者が社内にいる。
守頭になんの非もないとは言い切れない。そして、その詐欺師が沙織を邪魔に思って居るのであれば、同じことをする可能性は高い。
なら、まずそちらを片付けるべきではないだろうか。
自分の部下、あるいは部下を装った内通者が沙織の家を破産ギリギリまで追い込んだのに、トップである自分が知らぬ顔でいていいはずはない。
まずは夫となって身辺を守り、同時に犯人を捕まえ御所頭家に賠償させる。
すべてはそれからだ。
人によっては責任を感じすぎだと笑うかもしれないが、こと惚れた女の為であれば、道化にも悪魔にでもなる覚悟がある。
不安要素を取り除く一方、彼女が望む生き方を――と、京都の頃と同様の暮らしを手配したのだが。
(沙織が望んだのは、籠の中の贅沢な暮らしではなく、自分の手でなにかを成し遂げる自由だったとはな)
箱の中の令嬢。その単語に惑わされすぎていた。
彼女は贅沢な暮らしも与えられる品々や、押しつけられた稽古事も、なにひとつ欲しがってはいなかった。
考えれば、最初の出会いからそうだった。
沙織は高価な花束より、目の前で凜と咲く一輪の乙女椿を望んで空に手を伸ばしていた。二階から落ちるかもしれない危険をまるで顧みず、それを自分でつかみ取ることに意味があるのだという風に。
そして守頭は、自ら欲して手を伸ばす沙織の姿に魅せられたのだ――。
だから、仕事をしたいと言われた時も反対はしなかった。
やってみたいことはやるといい。もしくじけても自分が受け止めて慰める。そのために沙織の側にいるのだから。
早く、恋に目覚めればいい。
守頭を夫としてではなく、男として見て、願わくば好きだと感じてくれれば。
日々そう思う。今このときでさえ。
(いや、とくに最近は、だな)
知らず吐いた溜息が窓ガラスを白く曇らせる。
それで自分が思う以上に恋わずらっていることに気付いた守頭は苦笑しつつ、社長の椅子に座り腕を組む。
沙織の側にいる、もう一人の男の存在を思い出したからだ。