お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 広い広い室内に、でんと鎮座するキングサイズの天蓋付きベッドに沙織が足を止めていると、怪訝な表情で沙織を見た守頭が、ぷっと小さく吹き出した。
「安心しろ。この部屋のベッドは沙織が使えばいい」
「で、でも」
 他にベッドはない。ソファだって猫足の長椅子があるだけで、歴史はあるけれど、寝るには剥いてなさそうだ。
 だから、一体どこで守頭は寝るのかと困惑してしまう。
 かといって、一緒にという訳にもいかず、じゃあ小柄な自分があの長椅子で寝ますといいかけた時、守頭が部屋の隅にある目立たないドアを指で示す。
「隣にあるデラックスルームをコネクティングしている。俺はそっちのベッドを使うから、沙織は安心して寝ればいい」
 この部屋より格も広さもやや下がるが、似たような部屋があり、顧客の要望に応じて部屋同士をコネクティング――一つとして使えるようにできるらしい。
 なんでも王族や大統領などが宿泊した際、使用人やボディガードが待機するように繋げたり、家族で使うために繋げたりするため、そんな設計になっているのだとか。
 説明され、ホテルで一番いい部屋を借りるだけでなく、その隣まで借りるなんて。ますます守頭の財力に驚いてしまう。
 ――そんなに旦那さんが稼げるなら、働かなくてもいいでしょうに。
 会社でなんどか言われた言葉が頭を過る。
 そういえば、守頭はどうして自分が働くことを許してくれたのか。そして、こうまでして付き合ってくれるのか。
 聞いていいのか、それとも聞かないほうがいいのかと迷っていれば、それを違う意味に勘違いしたのか、あるいはわざとか、守頭が沙織の耳元に唇を寄せ囁いた。
「それとも、独り寝は寂しいなら一緒に寝てもいいが。夫婦として」
 途端、考えていたことが頭から吹っ飛び、代わりに顔が熱く火照る。
 もう顔だけでなくうなじや耳まで真っ赤に違いない。
 これでは暖房もいらなさそうだ。というほど赤くなりながら、沙織は羞恥に唇をわななかす。
「あ、あ、あの……」
「冗談だ。……俺は、沙織が望むまでそういうことはしない」
 変にきっぱりと言われ、安心するような、それでいて寂しいような気持ちでいると、さあ、と促されベッドに座らせられる。
「少しゆっくり眠るがいい。俺は隣の部屋で仕事をしているから、何かしたくなったり、飲み物や食べ物が欲しくなったらいつでもノックすればいい。すぐルームサービスを手配する」
 いいつつ、額にそっと唇を触れさせると、今までの甘い雰囲気が嘘のように守頭は隣の部屋へと消えていった。
(なんで、こんなにドキドキしているのでしょう)
 守頭は夫で妻である沙織をエスコートするのは当たり前だし、旅先だから彼も少し浮かれてリップサービスで甘い言葉をかけたり、からかったりしているだけなのかもしれない。
 だけどおかしいほどに胸が早鐘をうっていて、今も彼が触れたり、キスしたりした場所が熱をもっていて心地よい疼きを伝えてくる。
 ――どうしよう。
 頭の中が守頭のことで一杯だ。彼がしてくれたことやかけてくれた言葉がぐるぐるとめまぐるしく記憶を騒がす。
 パリについてからだけじゃなく、日本にいる時に鍋をつついたことや、一緒に料理したこと、ビジネスについての質問を沙織がしたとき、わかりやすく、すごく深いところまで教えてくれたことまで。
 彼に、惹かれているのかもしれない。
(離婚するのに?)
 どうしたというのだ、自分は。
 守頭と離婚するつもりじゃなかったのか。自由を得るため。
 なのに今や、離れがたいほど彼に惹かれだしている。
 側にいてほしいと思うし、側にいたいと思う。
 一緒にいつまでも笑っていたいし、このままの暮らしを続けたいとさえ考えだしている。
 暮らしぶりがいいからではない、彼がかっこいいからだけでもない。
 わからないがとにかく、もっと彼を知りたいという欲求だけは確かで。
「私、どうして、離婚したいと思ったのでしょう……」
 一人きりになった部屋で呟くが、確かに、確固として沙織の中にあった離婚の理由は、いまや霧の向こうで溶けてしまったように見えなくなっていた――。
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