お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
パリに到着した日は、やはり疲れていたのか頭を悩ませているうちに眠りに落ちてしまい、次に起きたのは二十時を過ぎた頃だった。
今から外にでてもまた疲れるだけだという守頭の主張に同意し、ホテル内にある二つ星レストランからルームサービスを手配してもらった。
初めて食べる本格的なフランス料理だというのに、眠気と疲れで朦朧としていて味もあまりわからないまま、とにかく食べて体力をもどさなければという義務だけでナイフとフォークを動かし、その後は、半分船を漕ぎながら浴槽を使う。
風呂からあがるともう限界で、バスローブを羽織ったままベッドに座った沙織は髪を乾かす気力もなく、見かねた守頭が代わりにタオルで水気を拭ってドライヤーまできっちりかけてくれた。
ブラッシングされるのと、ドライヤーの熱すぎない風が心地よいなと思っているうちにいつしか眠ってしまい、気が付くと朝陽の中、きちんと羽毛の布団を掛けられ寝ていて驚いた。
恐らく、守頭がしてくれたのだろう。
まるで子どもみたいになにからなにまで世話をされて恥ずかしいのと、ここまで尽くされるなんて幸せだなと思いつつ目を覚まし、一通り身なりをととのえまたテラスに出ると、朝のチュイルリー公園の緑がまぶしく、鳴く鳥の声が耳を楽しませる。
昇りはじめた朝陽が、パリの町並みや屋根を夜から浮き立たせていく光景は、どんな映像や絵画より美しく、本当にフランスに来たのだという実感が湧いてくる。
朝は定番のクロワッサンに、オレンジジュースとカフェオレ、それにマルシェで仕入れてきただろうつやつやな野菜と果物のサラダにふわとろのスクランブルエッグと、量も皿も多かったが、不思議にぺろりと平らげてしまった。
普段の沙織ならこの半分も入らないのに。と驚きつつ、すこしはしたなく食べ過ぎたかと上目で向かいに座る守頭を伺えば、元気になってよかったと、すごく嬉しそうに微笑まれて、沙織はふわふわとした気持ちになってしまう。
なんだろう。これでは新婚旅行ではないか。
そんなことを考えているうちに朝は終わって、服――もとい着物に着替える。 今日、沙織が行くのはオークション――ではなく、その前段階として開催されるプレビューである。
プレビューとはオークションに出品する作品の下見会のことで、通常四日から一週間程度、ホテルのレセプションルームや展示場などを借りて、実物を閲覧できるようにしてある催しのことで、会場にはオークションを主催する会社のスタッフや専門家が配置され、子細に、それこそルーペを貸し出ししてまで見学、検討することが可能となっている。
各展示にはオークション番号と最低入札価格が書いたプレートが添えられていて、価格が安いものは一般人も見学、オークションへの参加ができるが、高額の作品となると完全に招待制となっていて、オークションも昼間ではなくイブニングと呼ばれる夜に開催される。
もっともプレビューは昼から開催されているので、それを見て、一日置いてオークションという予定なのだが、招待制であることからそれなりの服装での来場が義務づけられている。
スーツを持っていても、普段使いのものしかなく、セミフォーマルのワンピースを仕立てるには時間がなかった沙織は、日本の正装ともいえる着物で来場することにした。
これなら多少ドレスコードから外れていても、同じ日本人の、それも着物を着慣れた人しかわからないだろうし、なにより幼少時から着物で過ごしてきた沙織にしてみれば、洋服より気軽である。
慣れた手つきで着付けを澄ませ、この日のためにと守頭が外商を呼んで購入してくれた訪問着を纏う。
今日の着物は素色という淡い朱と灰色を混ぜたような色合いの絹地に、雪を被った椿の茂みが足下から膝あたりまであり、胸のあたりに紅と白の椿が一輪ずつワンポイントとして入っているものだ。
外国でも通用する花だし、全体的に鮮やかなわりに下地の色が落ち着いているので品がよい。
帯は暗めの紅で引き締め、そこに赤瑪瑙でできた椿の帯留めをつけた。
草履と羽織は榛色のものにして、上げた髪のかんざしも帯留めの椿と同じ作者のものであわせれば完成だ。
上から下まで全部着物を新調したのは久しぶりで、気分が上がった沙織は仕上げ立てを見て貰おうと、コネクティングしている守頭の部屋へ向かう。
嬉しすぎて、ノックをするのを忘れたまま扉をあけ、沙織はそこで立ちつくす。
黒のスーツに黒のシルクシャツ、それにシルバーのネクタイを合わせた守頭が、袖にプラチナのカフリンクスをつけている姿が目に入ったからだ。
もとから上背がありスタイルもいいので、なにを来ても似合うのだが、全体を黒で引き締め、ポイントをシルバーで抑えているドレッシーなスタイルは、普段のスーツ姿とはまたちがったかっこよさで、彼の顔立ちの凜々しさが際だって見える。
なにより、伏せがちにした目元が艶っぽく、長い指が袖のカフリンクスを弄っているのもすごく色気がある。
まるで初めてあったような新鮮さで守頭をぼうっと眺めていると、気配で気付いたのか彼もこちらに向き直り、それからまぶしいものをみたように目を細める。
それから溜息を一つおとし、ゆっくりと――まるで舞踏に誘うような優雅さで沙織の前まで歩み寄り、肩に触れようとし、そのまま宙で手を止める。
「綺麗すぎて、触るのが怖いな」
微苦笑まじりに言われ、褒められた沙織は面はゆさに頬を染める。
「旦那様こそ、格好よくて隣に並ぶのは気がひけます」
俯きがちにつげると、「そんなことはないぞ」と額をつつかれて、なぜだかこのやりとりが幸せに思えてしまう。
会場にいく車中でもそんな調子で、ふとしたはずみに守頭と目が合えば微笑まれ、沙織も自然と微笑んでしまう。
プレビューが行われるホテルはパリ八区で、ハイブランドのブティックが軒を連ねるモンテーニュ通りの中心にあるやはりパラスの名を冠するホテルだった。
車から入ってまず目に入ったのが、窓を覆わんばかりの緑と上からかかる深紅の日よけで、その二つで歴史ある建物が鮮やかに彩られていて、他の建物よりちょっと垢抜けた雰囲気がある。
季節が暖かければ、ゼラニウムの赤い花が窓辺を飾って、それはとても美しいのだと守頭が言うのを聞いて、今が冬なのが残念だと思っていたら、夏にでもまた来るかと誘われた。
プレビュー会場はホテル内のレストランを貸し切りで行われていて、テーブルと椅子を片付けたホールは音楽会ができるほど広く、そこに陶磁器をメインテーマにした和洋中のアンティークコレクションが展示されていた。
入口で待ち合わせしていた逸樹と合流し、守頭は沙織が仕事をする間、ホテルにあるバーか喫茶室で時間を潰すのかと思っていたら、ちゃっかり彼も招待状を持っていた。
なんでも、仕事柄、オークションに参加するセレブや投資家ともやりとりしていて、今回は興味なしとして不参加だった人から一枚譲って貰ったのだとか。
それが分かった途端、得意げだった逸樹の顔がたちまち嫌そうな顔になったので沙織は思わず吹き出したほどだ。
会場の中はさすがセレブの趣味人か、あるいはセレブの要望を受け品を探しに来た人や逸樹と同じ美術投資家と、多種多様な人が行き来していたが、誰もが高価そうな服を当たり前に着こなし、ゆったりと歩いているので気ぜわしさはまるでなく、美術館を観にきたような気分になる。
けれどゆったりと見物してばかりも居られない。
事前に購入できるカタログでは確認しづらい色味や、細かい模様の差異、経年劣化の程度など細かく確認し、オークション用のリストに、これは購入しない。これはここまでの金額なら出してもいい。などを記入していく。
自分が得意とする日本の陶磁器でもそこそこ時間がかかったが、西洋白磁となるとまるで専門外なため、篠山さんがインフルエンザを押して作ってくれた資料を基に、細かく、丁寧に確認するためまるで進まない。
これでは随分守頭を待たせてしまう。と眉を下げ振り返れば、相手はまるできにしていない様子だった。
今から外にでてもまた疲れるだけだという守頭の主張に同意し、ホテル内にある二つ星レストランからルームサービスを手配してもらった。
初めて食べる本格的なフランス料理だというのに、眠気と疲れで朦朧としていて味もあまりわからないまま、とにかく食べて体力をもどさなければという義務だけでナイフとフォークを動かし、その後は、半分船を漕ぎながら浴槽を使う。
風呂からあがるともう限界で、バスローブを羽織ったままベッドに座った沙織は髪を乾かす気力もなく、見かねた守頭が代わりにタオルで水気を拭ってドライヤーまできっちりかけてくれた。
ブラッシングされるのと、ドライヤーの熱すぎない風が心地よいなと思っているうちにいつしか眠ってしまい、気が付くと朝陽の中、きちんと羽毛の布団を掛けられ寝ていて驚いた。
恐らく、守頭がしてくれたのだろう。
まるで子どもみたいになにからなにまで世話をされて恥ずかしいのと、ここまで尽くされるなんて幸せだなと思いつつ目を覚まし、一通り身なりをととのえまたテラスに出ると、朝のチュイルリー公園の緑がまぶしく、鳴く鳥の声が耳を楽しませる。
昇りはじめた朝陽が、パリの町並みや屋根を夜から浮き立たせていく光景は、どんな映像や絵画より美しく、本当にフランスに来たのだという実感が湧いてくる。
朝は定番のクロワッサンに、オレンジジュースとカフェオレ、それにマルシェで仕入れてきただろうつやつやな野菜と果物のサラダにふわとろのスクランブルエッグと、量も皿も多かったが、不思議にぺろりと平らげてしまった。
普段の沙織ならこの半分も入らないのに。と驚きつつ、すこしはしたなく食べ過ぎたかと上目で向かいに座る守頭を伺えば、元気になってよかったと、すごく嬉しそうに微笑まれて、沙織はふわふわとした気持ちになってしまう。
なんだろう。これでは新婚旅行ではないか。
そんなことを考えているうちに朝は終わって、服――もとい着物に着替える。 今日、沙織が行くのはオークション――ではなく、その前段階として開催されるプレビューである。
プレビューとはオークションに出品する作品の下見会のことで、通常四日から一週間程度、ホテルのレセプションルームや展示場などを借りて、実物を閲覧できるようにしてある催しのことで、会場にはオークションを主催する会社のスタッフや専門家が配置され、子細に、それこそルーペを貸し出ししてまで見学、検討することが可能となっている。
各展示にはオークション番号と最低入札価格が書いたプレートが添えられていて、価格が安いものは一般人も見学、オークションへの参加ができるが、高額の作品となると完全に招待制となっていて、オークションも昼間ではなくイブニングと呼ばれる夜に開催される。
もっともプレビューは昼から開催されているので、それを見て、一日置いてオークションという予定なのだが、招待制であることからそれなりの服装での来場が義務づけられている。
スーツを持っていても、普段使いのものしかなく、セミフォーマルのワンピースを仕立てるには時間がなかった沙織は、日本の正装ともいえる着物で来場することにした。
これなら多少ドレスコードから外れていても、同じ日本人の、それも着物を着慣れた人しかわからないだろうし、なにより幼少時から着物で過ごしてきた沙織にしてみれば、洋服より気軽である。
慣れた手つきで着付けを澄ませ、この日のためにと守頭が外商を呼んで購入してくれた訪問着を纏う。
今日の着物は素色という淡い朱と灰色を混ぜたような色合いの絹地に、雪を被った椿の茂みが足下から膝あたりまであり、胸のあたりに紅と白の椿が一輪ずつワンポイントとして入っているものだ。
外国でも通用する花だし、全体的に鮮やかなわりに下地の色が落ち着いているので品がよい。
帯は暗めの紅で引き締め、そこに赤瑪瑙でできた椿の帯留めをつけた。
草履と羽織は榛色のものにして、上げた髪のかんざしも帯留めの椿と同じ作者のものであわせれば完成だ。
上から下まで全部着物を新調したのは久しぶりで、気分が上がった沙織は仕上げ立てを見て貰おうと、コネクティングしている守頭の部屋へ向かう。
嬉しすぎて、ノックをするのを忘れたまま扉をあけ、沙織はそこで立ちつくす。
黒のスーツに黒のシルクシャツ、それにシルバーのネクタイを合わせた守頭が、袖にプラチナのカフリンクスをつけている姿が目に入ったからだ。
もとから上背がありスタイルもいいので、なにを来ても似合うのだが、全体を黒で引き締め、ポイントをシルバーで抑えているドレッシーなスタイルは、普段のスーツ姿とはまたちがったかっこよさで、彼の顔立ちの凜々しさが際だって見える。
なにより、伏せがちにした目元が艶っぽく、長い指が袖のカフリンクスを弄っているのもすごく色気がある。
まるで初めてあったような新鮮さで守頭をぼうっと眺めていると、気配で気付いたのか彼もこちらに向き直り、それからまぶしいものをみたように目を細める。
それから溜息を一つおとし、ゆっくりと――まるで舞踏に誘うような優雅さで沙織の前まで歩み寄り、肩に触れようとし、そのまま宙で手を止める。
「綺麗すぎて、触るのが怖いな」
微苦笑まじりに言われ、褒められた沙織は面はゆさに頬を染める。
「旦那様こそ、格好よくて隣に並ぶのは気がひけます」
俯きがちにつげると、「そんなことはないぞ」と額をつつかれて、なぜだかこのやりとりが幸せに思えてしまう。
会場にいく車中でもそんな調子で、ふとしたはずみに守頭と目が合えば微笑まれ、沙織も自然と微笑んでしまう。
プレビューが行われるホテルはパリ八区で、ハイブランドのブティックが軒を連ねるモンテーニュ通りの中心にあるやはりパラスの名を冠するホテルだった。
車から入ってまず目に入ったのが、窓を覆わんばかりの緑と上からかかる深紅の日よけで、その二つで歴史ある建物が鮮やかに彩られていて、他の建物よりちょっと垢抜けた雰囲気がある。
季節が暖かければ、ゼラニウムの赤い花が窓辺を飾って、それはとても美しいのだと守頭が言うのを聞いて、今が冬なのが残念だと思っていたら、夏にでもまた来るかと誘われた。
プレビュー会場はホテル内のレストランを貸し切りで行われていて、テーブルと椅子を片付けたホールは音楽会ができるほど広く、そこに陶磁器をメインテーマにした和洋中のアンティークコレクションが展示されていた。
入口で待ち合わせしていた逸樹と合流し、守頭は沙織が仕事をする間、ホテルにあるバーか喫茶室で時間を潰すのかと思っていたら、ちゃっかり彼も招待状を持っていた。
なんでも、仕事柄、オークションに参加するセレブや投資家ともやりとりしていて、今回は興味なしとして不参加だった人から一枚譲って貰ったのだとか。
それが分かった途端、得意げだった逸樹の顔がたちまち嫌そうな顔になったので沙織は思わず吹き出したほどだ。
会場の中はさすがセレブの趣味人か、あるいはセレブの要望を受け品を探しに来た人や逸樹と同じ美術投資家と、多種多様な人が行き来していたが、誰もが高価そうな服を当たり前に着こなし、ゆったりと歩いているので気ぜわしさはまるでなく、美術館を観にきたような気分になる。
けれどゆったりと見物してばかりも居られない。
事前に購入できるカタログでは確認しづらい色味や、細かい模様の差異、経年劣化の程度など細かく確認し、オークション用のリストに、これは購入しない。これはここまでの金額なら出してもいい。などを記入していく。
自分が得意とする日本の陶磁器でもそこそこ時間がかかったが、西洋白磁となるとまるで専門外なため、篠山さんがインフルエンザを押して作ってくれた資料を基に、細かく、丁寧に確認するためまるで進まない。
これでは随分守頭を待たせてしまう。と眉を下げ振り返れば、相手はまるできにしていない様子だった。