お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
「あの、まだ時間がかかりそうなのですが」
「仕事なんだからしっかりやればいい。俺のことは気にするな」
「でも」

 ここに来てから結構な時間が経っている。本来なら守頭にも仕事があるだろうし、なによりずっと立ってるか歩いているかでくつろぐ暇もない。

 ホテルに戻られるか観光に行かれても、と提案しようと口を開き欠けた時、ふっと柔らかく笑って守頭が先を封じた。

「それに、俺は結構楽しんでいる。沙織が真剣な顔をして仕事をしているのなんて、こんな機会でもないとみられないしな」

 甘い微笑みでそういわれ、ずっと自分を見ていたのかと驚くと同時に照れてしまう。

「そんな風に言われたら、気になって仕事に集中できません」

 少し唇を突き出し言うと、守頭が軽やかな笑い声をこぼす。

「それはそれで見て居てたのしい」
「もうっ」

 どう反論しても、結局は自分を見つめる気なのかと軽く守頭の胸を押した瞬間だった。

「沙織」

 言うなり長い腕が伸びてきて、帯の下あたりを素早く支え引き寄せられる。

 突然の行動にどきりとし、目を大きくしていると、守頭は沙織を見つめ、それから肩越しになにごとかフランス語を飛ばす。

 と、沙織の背後で商談していた恰幅のいい男性が、申し訳なさげに頭を掻きつつ謝ってきた。
 どうやら、話に夢中なあまり背中同士がぶつかりかけていたようだ。

 急に近くなった距離にドキドキしていると、守頭が沙織を見つめ尋ねてきた。

「帯、くずれてないか」
「あ、大丈夫です」

 それならいいが、と続けたもののいつまでも腕から離してくれない。
 そして沙織も、なぜか離れたくなくなっていて、広い会場の中、無言で二人は見つめ合ってしまう。

 すごく、非日常な空間だ。
 初めて来た外国で、沢山の人に囲まれている上、どこを見ても美しさや豪奢さがあるホテルの中なのに、自分の視界には守頭の瞳しか映らない。

 守頭の瞳も沙織の顔と眼差しだけが映っていて――。

(このまま、キスできたら死んでもいい)

 そう考えた時だ。
 あからさまにわざとらしい咳払いが聞こえ、沙織はふと我に返る。

「お二人さん、独り身の僕にあんまり見せつけないで貰えますかね?」

 別件の商談をまとめていた逸樹が、いつのまにか二人の元に戻っていて、そんな風に注意する。

「あっ、やだ。私ったら」
「なにが私ったら、なんだよ。……熱烈に見つめあっちゃって。本当に、僕の出る幕なんてこれっぽっちもないじゃないか」

 完全に拗ねた口調で言うと、逸樹はほらほらと、二人の間に割ってはいり、両手をつっぱり引き離そうとする。
 沙織は素直に一歩下がるも、守頭はまるで意に介さず身を躱し、今度は沙織の横に並んで肩を支える。

「お前が出る幕なんてあるわけないだろう。沙織は俺の妻だ。夫が妻をエスコートしてなにが悪い」
「……あのねえ、そもそも、その役目は僕の予定だったのを、めちゃくちゃ強引に同行をねじこんできたのは誰でしたっけ」
「俺だが。それがなにか」

 痛烈な皮肉をまるで気にせず、守頭が涼しい顔で肯定すると、逸樹はこれ見よがしに肩を落として溜息を吐く。

「あーあ、離婚するっていう話だったから、僕にもチャンスがあるかなと思っていたけど、全然、新婚のいちゃいちゃあまあまじゃないか」

 髪型が乱れるのもかまわず、逸樹は後頭部の髪を掻き乱し、再び溜息をこぼす。

「単なる痴話喧嘩というか、犬も食わないやつを食わされたわけ? 僕は」

 ねえ、と問われても沙織はなんとも答えがたい。
 守頭との距離が近づいたのはつい最近のことで、沙織も戸惑いがあるほどなのだ。

「ええと」
「夫婦の間に入ろうとしたんだ。馬に蹴られなかっただけでもマシだと思え」

 なかなかに酷い言い草で守頭が言い籠めると、逸樹は、肩をすくめて背を向けた。

「そう思うことにするよ。……失恋したなあ。本気で。だから仕事は沙織に任せて慰めてくれる女の子でも探しに行くよ」
「是非そうしてもらいたい」

 間髪いれずトドメを差され、逸樹は恨めしげに肩越しに振り向き、それからスーツの胸元から取り出した封筒を小さく振って、守頭へ投げる。

 床に落ちるどころか、身体に触れるより早く守頭が封筒を受け取ると、逸樹はどこか投げやりな調子でいった。

「オークションの前夜祭というか、関係者限定レセプションの招待状。……二人分だから沙織と行こうと思ってたけれど、アンタにやる」
「逸樹」

 声を掛けるも、振り返りもせず、器用に人混みを抜けて出て行く。

 もともと、彼の仕事の本命はオークションそのもので、出品物が展示されるプレビューには新規のクライアント探しや、手持ちの美術品の商談で訪れているだけなので、中座しても問題はない。

 けれど、なんだか悪いことをしたような気がして、沙織が後を追おうとするも、すぐに守頭に留められた。

「そっとしておいてやれ。失恋した相手に慰められるほど惨めなことはないぞ」
「……そんな。だって、逸樹はいつもあんな調子で、好きとか結婚とか冗談だとばかり……」

 好意があるのは本当だったと、今、やっと気付いて、でも、答えられなくて、沙織は戸惑いと申し訳なさで声が小さくなっていく。

「沙織」

 ついに俯いてしまった沙織の頬をそっと両手で包み、守頭が囁く。

「相手の好意に気付けないことは悪じゃない。気付いて、向き合わないことのがより残酷だ。相手も、自分も傷つける」
「そういう、ものですか」

 恋がなにかまだよくわからない沙織には、それが本当かどうかわからず、なんだか力の無い声になってしまう。

「……多分、時が来たらわかる」

 どこか意味深に言われ、沙織が目を見張って顔を上げると、守頭が切なげな眼差しで沙織を見ていた。

「旦那様?」
「いや。なんでもない。……それより、今は好意より仕事で天堂に応えてやれ。それが一番だ」

 好きだと言われても、好きになれないことを憂うより、彼に頼られているだけ責任を果たせ、そうすることが彼との友人関係を、そして仕事を続けることになると言われた気がして、沙織は大きく深呼吸してうなずく。

「はい。わかりました」
「それでいい。……天堂だって、結果の見えている恋だとわかって恋したんだ。案外明日にはけろっとして金髪のパリジェンヌを連れて歩いているかもしれないぞ」

 沙織が気に病まないように言った冗談だろうが、あながちないとも言えないあたり、守頭は人をよく見ている。
 想像し、ふと口をほころばせて沙織は自分に言い聞かす。

「そうですね、多分きっとそう。逸樹なら大丈夫」

 そして手にしたファイルを抱き締め、何事もなかったような素振りを装い、次の展示物へと移動する。

 色味を見て、ルーペで縁の欠けがないか、金彩が経年劣化で薄れていないか。
 いくつもの展示物を見て、いくつもの確認項目をしっかりとチェックし、そういう風に仕事に集中することで、気持ちを落ち着かせていく。

 いつしか時間が過ぎるのも忘れ、美術品の世界に没頭し――気が付けば夕方になっていた。

 到着した時は混雑していたプレビュー会場も今は人がまばらとなっていて、配置されているオークション会社のスタッフも手持ち無沙汰げにしている。

 恐らく、同じホテルの別のレストランを借り切って行われるレセプションへ移動したか、それとも夜のパリに繰りだしたのだろう。
 外はすっかり暗くなっていて、目をこらせば白くちらつくものが――雪が、静かに舞っていた。

 最後の出品物のチェックが終わり、スマートフォンを使って確認したいことを篠山へ送信し、やっとひと息ついた時だ。

「あら」

 人が多かったので気が付かなかったが、窓辺のほうに小品がいくつか展示されている。
 落札の予定物ではないが、レセプションが始まるまではまだ少し時間があるのと、もう少しだけ気持ちを落ち着けたかった沙織は、そちらへ向かって歩く。

 飾られていたのは干支の形をした根付けという、今で言うキーホルダーのようなものが一揃いと、夫婦茶碗。
 なにより沙織が一目で心惹かれたのは陶器の人形だった。

 金彩の冠を被って、漆塗りで平安時代の服を再現したそれは、ひな人形、それもお内裏様と呼ばれる男雛だった。

「すごく、細やかな細工……有田焼かしら」

 顔の表情の柔らかさや特徴的な筆遣い、一色に見えて縫い目に銀をあしらったり、靴の部分に螺鈿細工がはめこまれていたりと、ともかく精緻かつ多様な技術が使われていて、とても挑戦的で、でも伝統もきちんと踏襲しているそれは、珍しい一品だった。

「柿右衛門のようにも見えるけど……」

 そういえば実家の倉にもこれに似た雛人形が桐箱に収められていたのを思い出す。

 もっとも、男雛が展示されているこちらに対し、沙織の実家である御所頭家の雛人形は男雛だけが欠けているのだ。
 ほかの女雛や三人官女や五人囃子などはもちろん、陶器の枝に珊瑚の桜や、鼈甲の橘が実る木まであったのだが、どうしても男雛とその関連する道具だけ見つけられなかった。

 男雛は、どことなく守頭に似ているように見えたが、異国の窓際で、雪と夜空を背景とし展示されているためか、とても寂しげで冷たい雰囲気を醸し出していた。

 ――連れて帰ってあげたい。

 幸い、小品ということで金額も高くない。オークション会社へ払う手数料と税金、それに美術品輸送費をあわせても、沙織の貯金でなんとかなりそうだ。

 だけど、それを払ってしまうと一億を貯める計画がほとんど無になってしまう。
 どうしようかと迷っていると、守頭が静かに声をかけた。

「欲しいのか」

 素直に、欲しいといえば彼なら買ってくれるだろう。それがわかるだけに沙織は言葉を選んで慎重に答える。

「欲しいというより、私が、連れてかえりたいんです。……私の力で」

 言い切った瞬間、守頭ははっとしたように目をみはり、それから遠い目をして微笑んだ。

「自分で手に入れたものが、欲しいもの。というわけか」

 望めば与えられる生き方をしてきた沙織は、なにかを欲しがることが少なかった。というのも、貰うことにはかならず代償があること、そして所有してしまえば、それまで品々と同じように、自分もいつか、見知らぬ男に買われ所有されるのを早くから悟っていたのかもしれない。

 だからこそ、自由が欲しいと思った。
 自分でなにかを成し遂げる生き方を、自分で欲しいと思ったものを自分で手に入れる達成感を味わって見たかったから。

 その気持ちを理解してくれたのか、守頭はなるほど。と呟いただけであとは特になにも言わなかった。
 沙織も、なにも言わずただ男雛を見つめていた。


 そして心の中の入札リストに、そっとその展示品のオークションナンバーを記録したのは言うまでも無かった。
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