〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
 愛佳の髪が透明感のあるラベンダーグレージュに染め上がる頃、店に陽気な男が現れた。

『どうもー。お疲れさん』
「深井さん、お疲れ様です。愛佳ちゃんもうすぐ終わりますから」
『慌てなくていいよ。愛佳ちゃん、今日はよろしくね』
「よろしくお願いしまーす」

 愛佳の席に顔を出した男はフリーカメラマンの深井貴明。彼にはサロンモデルの写真撮影を依頼している。

『藍川。いつものルイボスティー出して』
『ここはカフェじゃねぇぞ』

店長の藍川と深井が和気あいあいとスタッフルームに消えていく様を、愛佳と理世は鏡越しに眺めていた。

「深井さんは今日も明るいですね」
「そうね……」

 理世の反応は歯切れが悪く、深井に対してもぎこちない。以前なら店でモデルの仕上がりを待つ深井も、藍川と共にさっさとスタッフルームに消えてしまった。

理世の表情の強張りも深井のよそよそしさにも鈍感なフリを決め込んで、愛佳は手元のスマホに視線を落とした。

        *

 店の外階段の踊り場で愛佳の撮影は進んでいた。深井の指示でプロのモデルさながら顔の角度や表情をころころと変える愛佳に、訪れる客達の羨望の眼差しが注がれる。

理世と藍川は客の接客をしつつ撮影の進行を見守る。カラーリングの準備を行う理世の隣に藍川が並んだ。

『理世ちゃんさ、深井の告白保留にしたんだって? 深井から嘆きの電話が来たんだよ』
「少し考える時間が欲しくて……」

 理世が深井に告白されたのは先週の出来事だ。好意を受け取るにしても断るにしてもすぐには結論が出ず、しばらく保留の形で深井には納得してもらった。

『もしかして浮気の心配してる? 深井はチャラそうに見えて一途だよ。高校からずっと友達やってる俺が保証する』
「もちろん深井さんはイイ人ですよ。だけど一度浮気されると、トラウマになるんですよね」

 元恋人の彰良《あきら》と別れてからの2年間、まったく恋愛をしなかったわけではない。好きになった人も好きになってくれた人もいる。

しかし、誰と恋愛をしても心に生まれる猜疑心。一度でも男に裏切られた女は慎重になる。

トラウマの原因を作った彼らの名前は口にしたくもない。あの男とあの女のせいで、何をやっても上手くいかなくなった。

『俺としては深井はオススメだよ。あいつ、あれでも冷凍食品会社社長の一人息子』
「冷凍食品ってどこの?」
『サブマリンフーズ。あの歳でどこにも就職せずにフリーカメラマンやれてるのは、親の金のおかげでもあるんだ。金持ちを鼻にかけない奴だから友達やれてるんだけどね』

 藍川と深井は美容専門学校の同級生。藍川がこの店を立ち上げた当時から、店のホームページやインスタグラムに載せるサロンモデルの撮影は深井が担当している。
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