〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
 九条の大きな手で差し出されたレモネードの缶は、触れるとひやりと冷たかった。思いの外、熱く火照っていた美夜の身体に冷たくて酸っぱいレモネードが染みる。

『さっき聞いた話で、下山祐実の口座から7月中頃に十万が引き出されていたんだ』
「十万? 引き落としじゃなくて引き出しで?」
『ああ。夫婦共有の口座じゃなく、祐実が単独で持ってる口座だから旦那も十万の使い道に心当たりはなく、十万を引き出していたことも知らなかった。祐実が高額の買い物をした形跡もないから城東署の人も不審がってる』

 公共料金や携帯電話の使用料、電子マネーなどのキャッシュレス決済は、銀行の口座振替での支払いが一般的だ。

祐実には十万を現金で支払う何らかの事情があったようだが、一緒に住む夫が存在を知らない現金の存在は確かに妙だ。

「気にはなるけど私達の事件じゃないしね」
『そうだな。それ飲んだら早いとこ本庁戻ろう。俺達には俺達の事件がある。だから早くメンタル回復しろよ』

 大きな手が今度は背中を優しくさすってくれた。
九条は美夜と理世の会話をこれ以上蒸し返さない。美夜の触れられたくない場所には触れずに、そっと優しく、傷痕を撫でてくれる。

優しい人間の側にいると、自分の愚かさを突き付けられて泣きたくなる。

 先月の結衣子の結婚式で埼玉に帰った時も同じだった。地元の友達も祖母も皆、いつでも帰っておいでと言って送り出してくれる。

帰れる場所があるのにわざと温かくて優しい居場所を放棄するのは、取り繕った善人の仮面の裏を知られたくないからだ。

 美夜が佐倉佳苗を見殺しにした人間だと皆は知らない。佳苗の死を泣いて喜んだ人間だと、誰も知らない。

 嫌いな人間の死体を見て、泣いた美夜と笑った理世。


 ──“私達、きっと同類だよ”──


 そうなのかもしれない。いいや。きっと、そうだから。
理世は美夜の蔭《かげ》だった。



Act1.END
→Act2. 金魚、散る に続く
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