〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
 サルスベリの木の下には、12年前に死んだ愁の母親の死体が埋まっている。サルスベリが今年も綺麗な花を咲かせるのも根本にいる母の養分を吸っているからかもしれない。

「伶は元気にしている?」
『はい』
「明後日が誕生日だったわね。いつものように、伶の口座に振り込んでおいたから好きに使いなさいと言っておいて。せっかく免許があるのだから、そろそろ車でも買わせたらどう?」
『きっと伶は必要ないと言いますよ。今の大学生は車がなくても不便を感じていません。車を持つのは社会人になってからでも遅くはないでしょう』

 明後日の8月7日は伶の誕生日だ。誕生日だからと特別な催しはなく、養父母からプレゼント代わりの大金が振り込まれる日としか伶も感じていない。

伶が祝うのは自分の誕生日ではなく、12月の舞の誕生日。愁も伶も舞の誕生日にはケーキとプレゼントを用意して、一流ホテルや高級レストランのディナーで舞の成長を祝っている。

「あの子が学生でいられるのもあと2年よ。あなたとは進路の話もしているんじゃないの? 伶は何て言ってる?」
『夏木コーポレーションを継ぐ気はないと』
「継ぐ気がなくても継いでもらわなければ困ります。跡取りとして養子に迎えたのよ。伶がその気になるよう説得してちょうだい」

 麦茶で喉を潤した愁は無言で首を縦に振った。説得と言っても、逃れられない跡取りの立場を伶も重々承知している。
今はまだモラトリアムの庭で羽を伸ばしていたいだけだ。

「あなたは本当に夏木の跡を継ぎたいとは思わないの?」
『奥様には失礼ながら俺はあんな会社、欲しくもなんともないんですよ』

 再三受けてきた質問の返しも今となっては定型文。朋子は怒るでもなく、呆れた表情で溜息をついた。

「あなたも伶も、そんなにあの会社が嫌い?」
『伶は単に面倒なだけでしょうが、俺は夏木十蔵と夏木コーポレーションがこの世で一番嫌いです』
「相変わらず正直ね」

 愁が手土産に持参した茶菓子は朋子の好物の錦玉羹《きんぎょくかん》。水槽を模した青い寒天の中を赤い金魚が涼しげに泳いでいる。
切り分けた錦玉羹を口に含んだ朋子は、機嫌良くそれを咀嚼していた。

「そうそう。明後日、日本橋に美術館がオープンするの。お花と金魚を組み合わせた水槽の展示があるそうよ。プロデュースに雨宮家が関わっているとか」
『雨宮家……。そうですか』

 朋子の口から雨宮《あまみや》の家の名が出るとは意外だ。どういう風の吹き回しだろう。
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