〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
閉館時間を迎えて人がいなくなったアクアドリームの館内に雨宮蘭子は佇んでいる。プレオープンは無事に終えた。明日のオープンを見届けたら京都に帰らなければならない。
水中をゆらゆらと揺れる金魚達の水槽の前を、蘭子の物ではない靴音が通過した。
『蘭子さん、お疲れ』
「冬悟もお疲れ様。デモンストレーションのサポートありがとう」
靴音の主は蘭子の親戚、雨宮冬悟。彼は二つ持つ缶コーヒーのひとつを蘭子に手渡した。
缶同士を触れ合わせて乾杯の仕草をしてから、二人はコーヒーに口をつける。
「プレオープンに紫音《しおん》の息子が来ていたの」
『伶が? 何か話したの?』
「ううん。通路で見掛けただけ。女の子と一緒だったからきっとデートね。写真で見るよりも伶は紫音にそっくりだった」
京都の名門華道家、雨宮流の現在の当主は蘭子の兄だが、先代当主は蘭子の父だった。
冬悟は先代当主の弟の息子であり、東京に拠点を移した分家の現当主。
『伶はもう大学生だろう?』
「法栄大の三年生。舞は紅椿学院の高等部に上がったそうよ」
『舞も高校生か。早いな』
伶と舞の実母、雨宮紫音は雨宮分家の長女。冬悟の妹だ。
夏木家の養子に入った兄妹には、れっきとした雨宮家の血が流れている。
「紫音が死んで、それだけの月日が流れたのね」
『もう15年になるからね』
雨宮家から埼玉の明智家に嫁いだ紫音が自殺したのは2004年の1月。
舞が一歳になった直後の訃報だった。
「伶はこのまま夏木コーポレーションを継ぐのかしら」
『そのための養子だろう』
「わかってるけど、あの子達は雨宮家《うち》で引き取りたかったのに……」
10年前に紫音の元夫の明智とその後妻が殺された。あの事件で親を失った伶と舞の引き取り先に、母親方の実家の雨宮家が候補に挙がっていた。
『仕方ないさ。紫音が死んだあの時に伶と舞と雨宮の縁は切れた。それに伶と舞の親権を夏木十蔵に譲る代わりに、雨宮流は夏木から出資を得たんだ』
「それで雨宮流が持ち直したのだから皮肉なものね」
10年前当時、資金難に陥っていた雨宮家は伶と舞の親権を辞退する代わりに、夏木十蔵から多額の資金援助を得た。
最後は金を持っている者が勝つ世の中。
中身が残る缶コーヒーを手にして蘭子は展示室を出た。彼女はロビー中央に立ち、上を見上げる。後を追ってきた冬悟も隣に並んだ。
「どうして夏木十蔵が伶と舞を欲しがったのか、ずっと不思議だったの」
『夏木家には子どもがいないから跡取りが欲しかったんだろ?』
「だからって躊躇なく五億出して他人の子どもの養育権を買う? どう考えても普通の感覚じゃない」
『あの夏木十蔵に普通の感覚を当てはめてもなぁ……』
吹き抜けの天井に見えた夜の入り口。
ここは暗い、暗い、水の底。
そこは暗い、暗い、因縁の泥沼。
水中をゆらゆらと揺れる金魚達の水槽の前を、蘭子の物ではない靴音が通過した。
『蘭子さん、お疲れ』
「冬悟もお疲れ様。デモンストレーションのサポートありがとう」
靴音の主は蘭子の親戚、雨宮冬悟。彼は二つ持つ缶コーヒーのひとつを蘭子に手渡した。
缶同士を触れ合わせて乾杯の仕草をしてから、二人はコーヒーに口をつける。
「プレオープンに紫音《しおん》の息子が来ていたの」
『伶が? 何か話したの?』
「ううん。通路で見掛けただけ。女の子と一緒だったからきっとデートね。写真で見るよりも伶は紫音にそっくりだった」
京都の名門華道家、雨宮流の現在の当主は蘭子の兄だが、先代当主は蘭子の父だった。
冬悟は先代当主の弟の息子であり、東京に拠点を移した分家の現当主。
『伶はもう大学生だろう?』
「法栄大の三年生。舞は紅椿学院の高等部に上がったそうよ」
『舞も高校生か。早いな』
伶と舞の実母、雨宮紫音は雨宮分家の長女。冬悟の妹だ。
夏木家の養子に入った兄妹には、れっきとした雨宮家の血が流れている。
「紫音が死んで、それだけの月日が流れたのね」
『もう15年になるからね』
雨宮家から埼玉の明智家に嫁いだ紫音が自殺したのは2004年の1月。
舞が一歳になった直後の訃報だった。
「伶はこのまま夏木コーポレーションを継ぐのかしら」
『そのための養子だろう』
「わかってるけど、あの子達は雨宮家《うち》で引き取りたかったのに……」
10年前に紫音の元夫の明智とその後妻が殺された。あの事件で親を失った伶と舞の引き取り先に、母親方の実家の雨宮家が候補に挙がっていた。
『仕方ないさ。紫音が死んだあの時に伶と舞と雨宮の縁は切れた。それに伶と舞の親権を夏木十蔵に譲る代わりに、雨宮流は夏木から出資を得たんだ』
「それで雨宮流が持ち直したのだから皮肉なものね」
10年前当時、資金難に陥っていた雨宮家は伶と舞の親権を辞退する代わりに、夏木十蔵から多額の資金援助を得た。
最後は金を持っている者が勝つ世の中。
中身が残る缶コーヒーを手にして蘭子は展示室を出た。彼女はロビー中央に立ち、上を見上げる。後を追ってきた冬悟も隣に並んだ。
「どうして夏木十蔵が伶と舞を欲しがったのか、ずっと不思議だったの」
『夏木家には子どもがいないから跡取りが欲しかったんだろ?』
「だからって躊躇なく五億出して他人の子どもの養育権を買う? どう考えても普通の感覚じゃない」
『あの夏木十蔵に普通の感覚を当てはめてもなぁ……』
吹き抜けの天井に見えた夜の入り口。
ここは暗い、暗い、水の底。
そこは暗い、暗い、因縁の泥沼。