〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
 冷房の冷気が玄関まで届いている。ひやりとした空気は涼しいを通り越して寒いくらいだ。

『外観からだいたい想像はついていたけど広い玄関……。俺の家の風呂場より広い』
『発想がいちいち貧困なんだよ』
『どうせ南田の家の風呂場も似たような広さだろ』

隣で交わされる九条達の子どもっぽい口喧嘩に美夜は溜息しか出ない。

『お前達、こっちに来い』

 このメンバーでは美夜を除けば唯一の知性、伊東真守警部補が三人を呼ぶ。理知的な伊東の声に誘われて、美夜は艶やかなフローリングの廊下を通ってリビングに入った。

『床に落ちてるガラスの破片に注意しろよ』

 客間の床に男が倒れている。ソファーの下でうつ伏せになって絶命している男の傍らには、テーブルから落下したらしい高級そうなグラスが無惨な姿を晒していた。

「……深井貴明ですね」
『冷房の影響を考慮すると多少の誤差が出るが、死斑《しはん》の出方と硬直具合を見て死後十五時間から二十時間の間だろう』

 深井の死亡推定時刻は昨夜18時以降。

 北欧家具が配置されたリビングは窓のアコーディオンカーテンが半分開いていた。
窓の近くには車椅子が放置され、カーテンの真下には泥で汚れた軍手が無造作に放り出されている。

 彼女は視線を窓から壁際に移す。壁際のキャビネットを飾り付ける花瓶に生けられた花は、白く可憐な鈴蘭だ。

鈴蘭の開花時期は春から初夏。花屋に出回る時期も一般的には5月頃まで。夏の時期に鈴蘭はあまり見かけない。

しかし栽培環境によっては季節の花を人工的に咲かせることも、その花を年中取り扱っている花屋もあるだろう。

(最近どこかで鈴蘭を見たような……)

 ここではない別の場所で鈴蘭を見かけた。ムゲットで鈴蘭のピアスを購入する以前に……。

 美夜の記憶のフィルムに刻まれた鈴蘭は生花でも造花でもなく、作り物のピアスでもない。
水気を失い褪せた花。そうあれは、ドライフラワー。

『俺は一課長に報告してくる。お前達は深井がホシだと裏付ける物証を探してくれ』

 伊東がスマートフォンを持って玄関の方に消えた。九条と南田がそれぞれリビングや別室を探索する中、美夜はリビングと続き間のキッチンに向かう。

ひとつの仮説が彼女の中に浮上する。仮説を立証する証拠はおそらく冷蔵庫の中。
美夜はボトルポケットに直立する麦茶ポットを、白手袋をつけた手で持ち上げた。

「……二つあったのね」

 割れたグラス、生花の鈴蘭とドライフラワーの鈴蘭、二つの麦茶ポット。
一連の連続殺人事件のパズルのピースが揃った瞬間に、ムゲットで園美が言っていた言葉が頭をよぎる。


 ──“飲食店の名前に毒のあるお花の名前は相応しくないって思ったんだけどね”──


 花に罪はない。植物の毒や棘は外敵から身を守るため。罪はそれを利用する人間にある。

 花瓶に捕らわれた季節外れの鈴蘭が泣いていた。
花嫁のブーケにも利用される清楚な白い花は幸せの象徴。

それだけで、よかったんだ。
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