気紛れ天使 【君に会えたあの夏へ戻りたい】
何処からか『秋田音頭』が聞こえてくる。 静かな山間の澄んだ空気の中に純一郎と寛子が居る。
その頃、旅館では、、、? 「あの子は何処に行ったのかな?」
「あの客とデートにでも行ったんじゃないの?」 「デート? あの子が?」
「私をここから連れ出してください!とか言っておねだりしてるんじゃないの?」 「あんたたちじゃないんだからそんなことはやらないわよ。」
「やってるかもよ。 私たちが居たら邪魔だもんねえ。」 女中たちは相変わらず世迷いごとを言いながら走り回っている。
「あの子さあ、変だよね?」 「何が?」
「だって今まではずっと厨房に居たのよ。 それがさあ、あのお客さんが来たらいきなり相手をさせるなんて、、、。」
「いいじゃない。 女将のやりたいようにさせれば。」 「でも気分悪いわよ。 私たちには相談も無しで、、、。」
「それはそうだけどさあ、、、。」 「今夜またあの人が来るわねえ。 しっかり甘えなきゃ。」
女将はというと美織と二人で出掛けている最中である。 「美織さん、寛子ちゃんはどうでしたか?」
「ああ、お客さんにも慣れてきて今は散歩の最中かと、、、。」 「そうですか。」
「今頃はこの上の広場でお弁当を食べている頃かと、、、。」
さっき、美織は二人が歩いているのを見掛けた。 だとすればもう広場に着いていて休んでいる頃だろう。
「あの二人は仲も良さそうですね。」 「いいんじゃないですか? あの人なら寛子ちゃんを包んでくれますよ。」
「そうね。」 女将はちょっと寂しげな顔をして懐に忍ばせた写真を見詰めた。 そこには父親と幼い寛子が写っていた。
「この人が亡くなって何年になるんでしょう?」 「さあ、、、。」
二人は牧場からの帰りである。 牛乳も頼めたし卵も貰えた。
「明日も万全ね。」 「あの人は明日東京に帰るんですよね? 女将も夕食をご一緒にどうですか?」
「そうね。 お父さんのこともお話ししたいし。 準備をお願いしますね。」 「分かりました。」
二人が旅館へ戻った頃、純一郎と寛子は弁当を食べながら話し込んでいた。
「純一郎さんのお父さんって毎年今の時期に来られてたんですって。」 「そうらしいね。 夏になると海外からの帰りに一週間くらい休みを取ってたんだ。 不思議だなとは思ったけど謎が解けた気がする。」
「ここへ来ることは知らなかったんですか?」 「いつも東京のホテルで休んでくるって言ってたんだよ。 たぶん女将に気を使ってたんだろうなあ。」
「じゃあ純一郎さんはどうしてここを?」 「親父が死んだ時にメモ帳を見付けたんだ。 そいつにここの名前と女将の名前が書いてあったんだよ。」
「本当に内緒にしてくださってたんですね?」 「そうだと思うよ。 俺にも知らせなかったんだから。」
静かに風が吹いている。 雲がゆっくりと流れていく。
純一郎は弁当を食べ終わるとそこいらを散歩したくなって歩き始めた。 寛子はお茶を飲みながら辺りの景色を見詰めている。
芝生が続いている。 少し行くとなだらかな坂が始まる。
太陽は真上に昇っている。 やっぱり夏だ。
ブラブラと歩き回っていた純一郎はベンチの所にまで戻ってくると芝生の上に寝転がった。
寛子はお茶を飲みながら流れ漂う白い雲を見詰めている。 純一郎は何気に寛子のほうを向いた。
「、、、、。」 その視線に気付いたのか寛子はさっとスカートを押さえた。
「ごめんごめん。」 「見ちゃったんですか?」
「振り向いたら見えちゃって、、、。」 「恥ずかしい。」
「だよね。 ごめん。」 立ち上がった純一郎はベンチの隅っこに座ると俯いてしまった。
それからしばらく二人は無言でいたのだが寛子は意を決したように純一郎に飛び込んでいった。
「私を傍に置いてください。」 「何だって?」
「もう、こんな旅館に居るのは嫌なんです。 明日、連れて帰ってください。」 「おいおい、いきなり言われても困るよ。」
「そうですよね。 でも、、、。」 寛子は純一郎の肩に顔を埋めて泣き始めた。
そんな寛子の顔を上げながらキスをした純一郎はまっすぐに見詰めながら言った。 「ほんとに来るんだね?」
「はい。」 「どうなっても知らないよ。」
「構いません。 純一郎さんの傍に居られるんだったら、、、。」 (ほんとにそのつもりなんだな。)
純一郎は寛子をベンチに押し倒すと全てを奪い尽くす思いで抱いた。
いつの間にか秋田音頭は聞こえなくなっていた。 寛子は幸せだった。
「さて帰ろうか。」 西日が赤くなり始めた頃、ぼんやりしている寛子に純一郎が声を掛けた。
「もう夕方ですね。 速過ぎます。」 「あっという間だったね。 今晩が最後の夜だ。」
「今夜は女将も一緒に夕食を食べられるはずです。」 「女将も?」
「そうなんです。 お客様が帰られる前の晩はいつもそうなんです。 特別 用が無ければ。」 「用?」
「女将も忙しい人だから。」 「そうだよなあ。 朝から晩まで動き回ってるんだもんなあ。」
今朝、登ってきた道を下っていく。 純一郎は寛子の肩を抱き寄せて何かを考えている。
(昨日初めて俺に付いてくれたんだよな。 あの女が言った通り寛子は初めてだった。 その寛子は俺に付いていきたいって言っている。 どういうことなんだろう?)
あの分かれ道に来た。 見ると美織が牧場のほうへ歩いていくのが見えた。
「あの牧場には畑がたくさん有るんです。 旅館で必要な野菜を作らせてもらってるって女将が言ってました。」 「なかなかやるねえ。」
「山菜だけでは足りませんから。」
二人が旅館へ帰ってくると女中たちはニヤニヤしながら何かを話し合っているのが見えた。
「あの子さあ、可愛がってもらったんじゃないのかなあ?」 「まあそんなに小遣はくれないでしょうけどねえ。」
「いいじゃない。 貧乏人には貧乏人が似合うのよ。」 「そこで何を話してるの? 食事の準備をしなさい。」
「ああ、すいません。」 女将はまた純一郎の前で溜息を吐いた。
「申し訳ありません。 女中が至らないばかりに、、、。」 「いいんですよ。 ぼくは何も気にしてませんから。」
「今日の夕食は何時ごろになさいますか?」 「昨日と同じくで7時くらいに食べれたらいいなと、、、。」
「分かりました。 では私が厨房に伝えてまいりますからごゆっくりなさってください。」 女将はそう言うと厨房へ入っていった。
寛子はというとさっきから何やら物思いにふけっているらしい。 部屋に入ってもどこかぼんやりしている。
「どうしたの?」 「いえ、何も。」
「どっか沈んでるみたいだけど、、、。」 「そうですか?」
まさか「あなたに抱かれたから悶々としているんです。」なんて言えるはずも無く寛子は庭ばかり見詰めている。 庭では美織が石灯篭の手入れをしていた。
そんな美織と目が合った寛子はますます沈んでいくのである。 どうしたんだろう?
しばらくすると美織が部屋に入ってきた。 「寛子さん 本当は悩んでるんですよね?」
「え?」 美織の言葉に寛子は振り向いた。
「あなたも私と同じくでいつかこの旅館を離れたいと思っていた。 そうですよね?」 その問いに寛子は黙って頷いた。
「やっとその時が来たんじゃありませんか?」 「え?」
「あなたは純一郎さんと出会って心が安らいだはずです。 女将だって分かっていますよ。」 「女将が?」
「そうです。 今夜は女将もここで夕食をされます。 その時にでも打ち明けたらどうですか?」 「はい。」
寛子は小さく頷いた。 美織はなぜそこまで寛子の気持ちを察していたのだろうか?
美織は続けた。 「女将も私もこの旅館を花宿にしたくないと思って懸命にやってきました。 でもほとんどの女中たちは売春を生業にしてしまっています。 それが情けないのです。」
「じゃあ美織さんは、、、?」 「私は女将が亡くなったらこの旅館を去ります。 それまでに何とかしたいんですよ。」
美織はそう言うと廊下で話している女中たちの声に耳を欹てた。 「またやってるわ。 あの人たちは改心しないでしょうね。」
そして美織は溜息を吐いてから部屋を出ていった。
その頃、旅館では、、、? 「あの子は何処に行ったのかな?」
「あの客とデートにでも行ったんじゃないの?」 「デート? あの子が?」
「私をここから連れ出してください!とか言っておねだりしてるんじゃないの?」 「あんたたちじゃないんだからそんなことはやらないわよ。」
「やってるかもよ。 私たちが居たら邪魔だもんねえ。」 女中たちは相変わらず世迷いごとを言いながら走り回っている。
「あの子さあ、変だよね?」 「何が?」
「だって今まではずっと厨房に居たのよ。 それがさあ、あのお客さんが来たらいきなり相手をさせるなんて、、、。」
「いいじゃない。 女将のやりたいようにさせれば。」 「でも気分悪いわよ。 私たちには相談も無しで、、、。」
「それはそうだけどさあ、、、。」 「今夜またあの人が来るわねえ。 しっかり甘えなきゃ。」
女将はというと美織と二人で出掛けている最中である。 「美織さん、寛子ちゃんはどうでしたか?」
「ああ、お客さんにも慣れてきて今は散歩の最中かと、、、。」 「そうですか。」
「今頃はこの上の広場でお弁当を食べている頃かと、、、。」
さっき、美織は二人が歩いているのを見掛けた。 だとすればもう広場に着いていて休んでいる頃だろう。
「あの二人は仲も良さそうですね。」 「いいんじゃないですか? あの人なら寛子ちゃんを包んでくれますよ。」
「そうね。」 女将はちょっと寂しげな顔をして懐に忍ばせた写真を見詰めた。 そこには父親と幼い寛子が写っていた。
「この人が亡くなって何年になるんでしょう?」 「さあ、、、。」
二人は牧場からの帰りである。 牛乳も頼めたし卵も貰えた。
「明日も万全ね。」 「あの人は明日東京に帰るんですよね? 女将も夕食をご一緒にどうですか?」
「そうね。 お父さんのこともお話ししたいし。 準備をお願いしますね。」 「分かりました。」
二人が旅館へ戻った頃、純一郎と寛子は弁当を食べながら話し込んでいた。
「純一郎さんのお父さんって毎年今の時期に来られてたんですって。」 「そうらしいね。 夏になると海外からの帰りに一週間くらい休みを取ってたんだ。 不思議だなとは思ったけど謎が解けた気がする。」
「ここへ来ることは知らなかったんですか?」 「いつも東京のホテルで休んでくるって言ってたんだよ。 たぶん女将に気を使ってたんだろうなあ。」
「じゃあ純一郎さんはどうしてここを?」 「親父が死んだ時にメモ帳を見付けたんだ。 そいつにここの名前と女将の名前が書いてあったんだよ。」
「本当に内緒にしてくださってたんですね?」 「そうだと思うよ。 俺にも知らせなかったんだから。」
静かに風が吹いている。 雲がゆっくりと流れていく。
純一郎は弁当を食べ終わるとそこいらを散歩したくなって歩き始めた。 寛子はお茶を飲みながら辺りの景色を見詰めている。
芝生が続いている。 少し行くとなだらかな坂が始まる。
太陽は真上に昇っている。 やっぱり夏だ。
ブラブラと歩き回っていた純一郎はベンチの所にまで戻ってくると芝生の上に寝転がった。
寛子はお茶を飲みながら流れ漂う白い雲を見詰めている。 純一郎は何気に寛子のほうを向いた。
「、、、、。」 その視線に気付いたのか寛子はさっとスカートを押さえた。
「ごめんごめん。」 「見ちゃったんですか?」
「振り向いたら見えちゃって、、、。」 「恥ずかしい。」
「だよね。 ごめん。」 立ち上がった純一郎はベンチの隅っこに座ると俯いてしまった。
それからしばらく二人は無言でいたのだが寛子は意を決したように純一郎に飛び込んでいった。
「私を傍に置いてください。」 「何だって?」
「もう、こんな旅館に居るのは嫌なんです。 明日、連れて帰ってください。」 「おいおい、いきなり言われても困るよ。」
「そうですよね。 でも、、、。」 寛子は純一郎の肩に顔を埋めて泣き始めた。
そんな寛子の顔を上げながらキスをした純一郎はまっすぐに見詰めながら言った。 「ほんとに来るんだね?」
「はい。」 「どうなっても知らないよ。」
「構いません。 純一郎さんの傍に居られるんだったら、、、。」 (ほんとにそのつもりなんだな。)
純一郎は寛子をベンチに押し倒すと全てを奪い尽くす思いで抱いた。
いつの間にか秋田音頭は聞こえなくなっていた。 寛子は幸せだった。
「さて帰ろうか。」 西日が赤くなり始めた頃、ぼんやりしている寛子に純一郎が声を掛けた。
「もう夕方ですね。 速過ぎます。」 「あっという間だったね。 今晩が最後の夜だ。」
「今夜は女将も一緒に夕食を食べられるはずです。」 「女将も?」
「そうなんです。 お客様が帰られる前の晩はいつもそうなんです。 特別 用が無ければ。」 「用?」
「女将も忙しい人だから。」 「そうだよなあ。 朝から晩まで動き回ってるんだもんなあ。」
今朝、登ってきた道を下っていく。 純一郎は寛子の肩を抱き寄せて何かを考えている。
(昨日初めて俺に付いてくれたんだよな。 あの女が言った通り寛子は初めてだった。 その寛子は俺に付いていきたいって言っている。 どういうことなんだろう?)
あの分かれ道に来た。 見ると美織が牧場のほうへ歩いていくのが見えた。
「あの牧場には畑がたくさん有るんです。 旅館で必要な野菜を作らせてもらってるって女将が言ってました。」 「なかなかやるねえ。」
「山菜だけでは足りませんから。」
二人が旅館へ帰ってくると女中たちはニヤニヤしながら何かを話し合っているのが見えた。
「あの子さあ、可愛がってもらったんじゃないのかなあ?」 「まあそんなに小遣はくれないでしょうけどねえ。」
「いいじゃない。 貧乏人には貧乏人が似合うのよ。」 「そこで何を話してるの? 食事の準備をしなさい。」
「ああ、すいません。」 女将はまた純一郎の前で溜息を吐いた。
「申し訳ありません。 女中が至らないばかりに、、、。」 「いいんですよ。 ぼくは何も気にしてませんから。」
「今日の夕食は何時ごろになさいますか?」 「昨日と同じくで7時くらいに食べれたらいいなと、、、。」
「分かりました。 では私が厨房に伝えてまいりますからごゆっくりなさってください。」 女将はそう言うと厨房へ入っていった。
寛子はというとさっきから何やら物思いにふけっているらしい。 部屋に入ってもどこかぼんやりしている。
「どうしたの?」 「いえ、何も。」
「どっか沈んでるみたいだけど、、、。」 「そうですか?」
まさか「あなたに抱かれたから悶々としているんです。」なんて言えるはずも無く寛子は庭ばかり見詰めている。 庭では美織が石灯篭の手入れをしていた。
そんな美織と目が合った寛子はますます沈んでいくのである。 どうしたんだろう?
しばらくすると美織が部屋に入ってきた。 「寛子さん 本当は悩んでるんですよね?」
「え?」 美織の言葉に寛子は振り向いた。
「あなたも私と同じくでいつかこの旅館を離れたいと思っていた。 そうですよね?」 その問いに寛子は黙って頷いた。
「やっとその時が来たんじゃありませんか?」 「え?」
「あなたは純一郎さんと出会って心が安らいだはずです。 女将だって分かっていますよ。」 「女将が?」
「そうです。 今夜は女将もここで夕食をされます。 その時にでも打ち明けたらどうですか?」 「はい。」
寛子は小さく頷いた。 美織はなぜそこまで寛子の気持ちを察していたのだろうか?
美織は続けた。 「女将も私もこの旅館を花宿にしたくないと思って懸命にやってきました。 でもほとんどの女中たちは売春を生業にしてしまっています。 それが情けないのです。」
「じゃあ美織さんは、、、?」 「私は女将が亡くなったらこの旅館を去ります。 それまでに何とかしたいんですよ。」
美織はそう言うと廊下で話している女中たちの声に耳を欹てた。 「またやってるわ。 あの人たちは改心しないでしょうね。」
そして美織は溜息を吐いてから部屋を出ていった。