〜Midnight Eden〜 episode4.【月影】
「桑田さん」

 真紀の呼び掛けに反応した猫背の背中がわずかに動く。無精髭を生やした中年の男は、真紀を見上げて口元を斜めにした。

『お嬢ちゃんも人使いが荒いなぁ』
「芸能界のネタは桑田さんに聞くのが私達の間の定説です。それと、いい加減そのお嬢ちゃん呼びはやめてください。私も二人の子どもの母親です」

 真紀の導きで引き合わされた人物は桑田真隅。芸能ゴシップを専門に扱う週刊ルポルタージュの記者だ。

無精髭とシワの寄ったズボンが小汚なく、とてもそうは見えないが、記者としては非常に有能だと道すがらに真紀から教えられている。

『あのちゃらんぽらんのボンボンにまんまと落ちやがって。俺が口説いても靡《なび》きもしなかったくせになぁ』
「いつの話してるんですか。夫と結婚したのもずいぶん昔ですよ。こっちは部下の神田です」
「これ……どうぞ」

 美夜がおずおずと差し出した袋を片手で掴んだ桑田は、釣竿を置いて中身を確認する。彼はさっそくあんパンにかじりついていた。

『俺の好物は忘れちゃいなかったな。お嬢ちゃん本当は俺のこと好きだろ? 今すぐあんな旦那捨てて嫁に来いよ』
「後ろ向きに検討しておきます」
『俺はいつでもあんたとの子作りに前向きなんだが。まだまだ一晩に二回は発射できる』
「そうですねぇ……私も二人産んでますからね。もう出産はこりごりですよ」

 桑田からの冗談めかした誘いを真紀は見事にかわしている。桑田の誘いの口振りは軽く、真紀も軽口を楽しんでいる。

これくらいならまだマシということだろう。いやらしい誘いをする人間は、もっと露骨な誘い文句を並べるものだ。

『要件は望月莉愛のリベンジポルノだよな。あれは嵌められたんだ。ハメ撮りだけに?』
「つまらない冗談はいいです。嵌められたのはわかっていますから。問題は……」
『莉愛を嵌めた人間が誰か。まぁお嬢ちゃん達も座れよ』

 通路に等間隔に並ぶ台座に、桑田を挟んで真紀と美夜は腰掛けた。

『莉愛を排除したい人間を考えれば、嵌めた人間の見当はつく』
「今のセンターの高倉咲希ですか? ネットには咲希が莉愛をいじめていたという噂が広がっていますが」

美夜の意見を桑田は即座に否定した。ネットに流れる素人の憶測と芸能ゴシップのベテラン記者の見解は、どうやら違うらしい。

『高倉咲希は確かに莉愛がいた頃は二番手止まりだったが、嵌めた奴は咲希じゃない。むしろ咲希も被害者側だと俺は睨んでる』
「咲希もいじめられていた側?」
『最近のフルリールのパフォーマンスを見ていてもそんな感じがするねぇ。今夜も生放送の歌番組に出るから、新人のお嬢ちゃんも見てみるといい。とにかくフルリールは叩けば汚ねぇ埃がどんどん出てくるグループだ。俺達にとっては美味しいネタの宝庫』

 あんパンにかじりつきながら桑田はまた竿を手にする。釣りとは無縁の人生を歩んできた美夜には、獲物がかかるまでの時間をじっと消費するだけの行為の何が面白いのかわからない。
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