〜Midnight Eden〜 episode4.【月影】
 夏木邸の壁も床も防音仕様だ。サイレンサーをつけていない愁のワルサーからは、けたたましい銃声が響いている。

『……愁、すぐに処分しろと言ったのが聞こえなかったのか?』

 夏木の言葉を無視して愁はまだ雨宮を撃ち続けた。死体を蹴り飛ばして仰向けになった胸部に五発目、腹部に六発目、七発目を撃ち込んだ。

『木崎さん、そのくらいに……』
『心配しなくても正気は保ってる。本音は最後の一発をあんたの頭にぶちこんでやりたいですよ。……会長』

 止めに入った日浦の手を払い除け、雨宮に向けていた銃口は夏木十蔵に向いた。ワルサーに残る弾はあと一発。

銃を向けられても愉快に微笑する夏木の顔が憎らしい。血の臭いがたちこめる部屋で、愁と夏木の視線が交差した。

『私を殺したいか?』
『殺したいですよ。聞きたくもない口喧嘩を黙って聞いていて俺も確信しました。舞を紫音さんの代わりにしているのは会長も同じですよね。雨宮もあなたも同類だ。あなたには舞への愛情の欠片もない』
『自分は舞への愛情があると言いたいようだな』
『会長よりは舞の内面を見てきたつもりです。会長は母親と顔が似ている舞の外面しか見ていない。あなたはファムファタールの亡霊に今も喰われ続けている』

 夏木も雨宮も、紫音の面影を通してでしか舞を見ない。紫音のフィルターを通してしか舞の話をしない。
舞が本当は何を欲しがっているのか、夏木は理解する気もないのだろう。

舞が欲しいのは、自分をちやほやしてくれる男でも愁が与える愛情でもない。人生に極端に欠落してしまった“親の愛情”だ。

 日浦が呼び出した部下達が雨宮の死体処理をする間、夏木は別室で悠々と真夜中の晩酌を楽しんでいる。

傍らに控える愁も夏木に付き合って酒を呷る。12年前に母親を殺した時でさえ、愁の心は静かだった。
どうしてこんなに怒りに震える?
感情を制御できなくなる殺人は初めてだった。

『あの女とまだ会っているようだな。伶と舞に会わせたと聞いた』
『プライベートをどう過ごすかは俺の自由でしょう』
『私が命じれば、お前は神田美夜を殺せるか?』
『刑事を殺すとなると色々と下準備が必要ですよ。殺せと言われてもすぐには無理です』

 わざわざ今、美夜の話題を持ち出す夏木は愁を試している。夏木とは、出会った頃から常に腹の探りあい。
本心を明かさない自分達も所詮《しょせん》は同類だ。

『お前が神田美夜を殺らないなら伶に殺らせるまでだ』
『伶にジョーカーを継がせるつもりですか?』
『そのためのエイジェントだろう。伶の方がお前より優秀なジョーカーになるかもしれんな』
『伶も舞も会長の手駒にはさせません。あんたの手駒になるのは、俺ひとりで充分だ』

 空になった琉球《りゅうきゅう》ガラスのぐい飲みをテーブルに残して愁は夏木邸を辞する。

 秋の夜長の風は湿気ていた。雨は止み、赤坂まで歩いて帰るにはちょうどいい涼しさだ。
愁は濡れたアスファルトに寂しげに佇む。曇った夜空の磨りガラス越しに、ぼやけた月が浮かんでいた。

 街の喧騒と真夜中の静寂。湿った空気に乗る膨らみかけの月。辺り一面、影しか見えない深い闇。
心に住み着いて離れてくれない女と同じ名の夜が、愁を包んでいた。



Act2.END
→Act3.月夜の原罪 に続く
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