〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
疲労困憊の身体を機械的に動かして、美夜は赤坂の街に帰って来た。普段利用する五番出口ではなく、あえて赤坂駅の一番出口から外に出た彼女は真冬の夜風を正面に受ける。
独《ひと》りでいたいのに孤独《ひとり》になりたくない夜だった。
クリスマスの飾りにデコレーションされた師走の赤坂は、今夜も酔いどれの老若男女が集っている。都会は好きでも嫌いでもないが、心に巣食う孤独を誤魔化すには東京の喧騒は心地よかった。
名を知らぬ人々が街に残したぬくもりを、使い捨てカイロのようにして暖を取る。そうやって簡易的に自分を暖めたところで心の芯は冷たいまま、後追いの淋しさに侵食される。
東京にいれば赦されると思った。ここには様々な人間がいる。
ひとりでいても、誰かといても。
恋愛しても、しなくても。
結婚しても、しなくても。
子どもを産んでも、産まなくても。
男が女でも、女が男でも。
人の数だけの生き方が赦されている東京なら、自分のような人間が紛れても赦されるかもしれないと思った。けれど今もまだ、上手くは生きられない。
わざとゆっくりとした足取りで赤坂駅前を通り抜け、赤坂氷川公園の交差点から坂道に入った。
この街に越してこなければ、木崎愁とは出会わなかった。異動先の警視庁への交通の利便を考えて選んだ赤坂の街で、偶然立ち寄ったイタリアンレストラン。
無口で無愛想な男と相席を共にした春雷のあの夜と同じ気分だ。春の雨に打たれて冷えた心は人肌を欲し、相合い傘のカップルの笑い声が羨ましかった。
あの日にあの時に、あそこで出会わなければ……と、ラブソングの常套句を思い出して笑ってしまう。恋も愛も不必要なものと切り捨ててきた孤独な女が初めて欲しがった男は、女が愛してはいけない男だった。
もて余す空虚の淋しさは春雷の夜と同じでも、孤独な大人の寄り道は今夜は叶わない。
行き付けのイタリアンレストラン、mughetto《ムゲット》が入るビルの前で足を止め、彼女は明かりのない建物を見据えた。
風にはためくイタリアの国旗もメニューが綴られたブラックボードも軒先にはなく、代わりにcloseの看板が出ていた。 ムゲットは水曜日が定休日だ。
肩をすくめて踵を返した美夜の耳にかすかな物音が届いた。地下一階のムゲットに続く階段から物音は聞こえる。
職業柄、真っ先に不審者の可能性を疑った彼女は、用心深く階段の上部から視線を落とす。ムゲットの営業中は煌々《こうこう》と灯っている階段の灯りも今は微量で、薄明かりに見える人影は何かを運んでいた。
「あら? ……美夜ちゃん?」
「……園美さん?」
人影が発した声に彼女は驚いた。地下に伸びる階段の先にいた人影の正体はムゲットのオーナーシェフの妻、白石園美だ。
「お店は休みですよね?」
「明日の仕込みに来てたのよ。どうぞ入って」
「定休日にご迷惑では……」
「大丈夫、大丈夫。階段、足元薄暗いから気をつけてね」
園美に手招きされて誘われた地下への秘密空間。
2ヶ月ぶりに来店したムゲットの店内は、相も変わらず温かみのあるオレンジ色。暖房が効いた店内の空気が、肌寒い夜道を歩いてきた美夜の身体に優しく沁みた。
独《ひと》りでいたいのに孤独《ひとり》になりたくない夜だった。
クリスマスの飾りにデコレーションされた師走の赤坂は、今夜も酔いどれの老若男女が集っている。都会は好きでも嫌いでもないが、心に巣食う孤独を誤魔化すには東京の喧騒は心地よかった。
名を知らぬ人々が街に残したぬくもりを、使い捨てカイロのようにして暖を取る。そうやって簡易的に自分を暖めたところで心の芯は冷たいまま、後追いの淋しさに侵食される。
東京にいれば赦されると思った。ここには様々な人間がいる。
ひとりでいても、誰かといても。
恋愛しても、しなくても。
結婚しても、しなくても。
子どもを産んでも、産まなくても。
男が女でも、女が男でも。
人の数だけの生き方が赦されている東京なら、自分のような人間が紛れても赦されるかもしれないと思った。けれど今もまだ、上手くは生きられない。
わざとゆっくりとした足取りで赤坂駅前を通り抜け、赤坂氷川公園の交差点から坂道に入った。
この街に越してこなければ、木崎愁とは出会わなかった。異動先の警視庁への交通の利便を考えて選んだ赤坂の街で、偶然立ち寄ったイタリアンレストラン。
無口で無愛想な男と相席を共にした春雷のあの夜と同じ気分だ。春の雨に打たれて冷えた心は人肌を欲し、相合い傘のカップルの笑い声が羨ましかった。
あの日にあの時に、あそこで出会わなければ……と、ラブソングの常套句を思い出して笑ってしまう。恋も愛も不必要なものと切り捨ててきた孤独な女が初めて欲しがった男は、女が愛してはいけない男だった。
もて余す空虚の淋しさは春雷の夜と同じでも、孤独な大人の寄り道は今夜は叶わない。
行き付けのイタリアンレストラン、mughetto《ムゲット》が入るビルの前で足を止め、彼女は明かりのない建物を見据えた。
風にはためくイタリアの国旗もメニューが綴られたブラックボードも軒先にはなく、代わりにcloseの看板が出ていた。 ムゲットは水曜日が定休日だ。
肩をすくめて踵を返した美夜の耳にかすかな物音が届いた。地下一階のムゲットに続く階段から物音は聞こえる。
職業柄、真っ先に不審者の可能性を疑った彼女は、用心深く階段の上部から視線を落とす。ムゲットの営業中は煌々《こうこう》と灯っている階段の灯りも今は微量で、薄明かりに見える人影は何かを運んでいた。
「あら? ……美夜ちゃん?」
「……園美さん?」
人影が発した声に彼女は驚いた。地下に伸びる階段の先にいた人影の正体はムゲットのオーナーシェフの妻、白石園美だ。
「お店は休みですよね?」
「明日の仕込みに来てたのよ。どうぞ入って」
「定休日にご迷惑では……」
「大丈夫、大丈夫。階段、足元薄暗いから気をつけてね」
園美に手招きされて誘われた地下への秘密空間。
2ヶ月ぶりに来店したムゲットの店内は、相も変わらず温かみのあるオレンジ色。暖房が効いた店内の空気が、肌寒い夜道を歩いてきた美夜の身体に優しく沁みた。