〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
同じ日に別々の人間と同じ本の話題を語り合っていた。萌子も、桜の木の下には死体が埋まっていると信じていた人間だ。
「初対面で他に適当な話題もないから私達はひたすら梶井の本の話をしていた。桜の木の下に死体が埋まってると思うって私は彼に言ったんだよね。あの時、どんな気持ちで私の話を聞いていたのかな。自分が殺した母親の骨が木の下に埋まっているのにね……」
世界が闇に侵食されてゆく。タイル張りの遊歩道に並び立った男と女は暗色と街のライトに彩られた同じ海を眺めた。
『神田。一生に一度の頼みがある』
「九条くんからの頼み事は嫌な予感しかしないなぁ。報告書は代行しないからね?」
『まぁ待て、まずは話を聞け』
大きな手のひらがジャンケンのパーの形で美夜に向けられる。まぁまぁと、不機嫌な子どもをあやすような仕草をした彼は開いた手で拳を作り、口元に当てて咳払いをした。
そんな風に芝居がかってまでして行う“一生の頼み”とは、なんだろう?
『俺は神田が気が多くない女だってわかってる。木崎が居なくなってすぐ次の男に切り替えできる女なら俺だって望みが持てたし、積極的に口説いてた』
「今、私は九条くんに口説かれてるの?」
『口説いていいなら口説くけど、お前はそれを望んでないだろ? 俺も今はそれは望まない。弱ってる女につけこむほど卑怯じゃねぇよ。雪枝ちゃんとも、いずれちゃんと向き合わないといけないしな』
彼の含みのある言い回しが、いつかの未来への淡い期待を匂わせていた。
たとえば美夜と九条のどちらかが警視庁捜査一課を去る時。バディではなくなったいつかの二人は、もしかしたら男と女の関係になれるかもしれない。
九条の人間性は嫌いではない。彼への好感が、やがては恋愛の好感に傾くかもしれない。そうならないかもしれない。
美夜も、九条が気が多くない男だと知っている。簡単に美夜以外の女に目移りする男ではない。
もしも美夜が九条に恋愛感情を抱いても、九条の隣には成人を迎えた雪枝や、別の相手がいるかもしれない。
未来は美夜にも九条にもわからない。
ここにある確かな真実は空と海。風と水。人と大地。男と女。二人の刑事。
『だから男と女の関係は無理でもさ、バディとして俺の隣にずっといて欲しい』
承諾も拒絶もできない頼み事。無言の美夜が答える代わりに、細波《さざなみ》が物悲しげな旋律を奏でて泣いていた。
「初対面で他に適当な話題もないから私達はひたすら梶井の本の話をしていた。桜の木の下に死体が埋まってると思うって私は彼に言ったんだよね。あの時、どんな気持ちで私の話を聞いていたのかな。自分が殺した母親の骨が木の下に埋まっているのにね……」
世界が闇に侵食されてゆく。タイル張りの遊歩道に並び立った男と女は暗色と街のライトに彩られた同じ海を眺めた。
『神田。一生に一度の頼みがある』
「九条くんからの頼み事は嫌な予感しかしないなぁ。報告書は代行しないからね?」
『まぁ待て、まずは話を聞け』
大きな手のひらがジャンケンのパーの形で美夜に向けられる。まぁまぁと、不機嫌な子どもをあやすような仕草をした彼は開いた手で拳を作り、口元に当てて咳払いをした。
そんな風に芝居がかってまでして行う“一生の頼み”とは、なんだろう?
『俺は神田が気が多くない女だってわかってる。木崎が居なくなってすぐ次の男に切り替えできる女なら俺だって望みが持てたし、積極的に口説いてた』
「今、私は九条くんに口説かれてるの?」
『口説いていいなら口説くけど、お前はそれを望んでないだろ? 俺も今はそれは望まない。弱ってる女につけこむほど卑怯じゃねぇよ。雪枝ちゃんとも、いずれちゃんと向き合わないといけないしな』
彼の含みのある言い回しが、いつかの未来への淡い期待を匂わせていた。
たとえば美夜と九条のどちらかが警視庁捜査一課を去る時。バディではなくなったいつかの二人は、もしかしたら男と女の関係になれるかもしれない。
九条の人間性は嫌いではない。彼への好感が、やがては恋愛の好感に傾くかもしれない。そうならないかもしれない。
美夜も、九条が気が多くない男だと知っている。簡単に美夜以外の女に目移りする男ではない。
もしも美夜が九条に恋愛感情を抱いても、九条の隣には成人を迎えた雪枝や、別の相手がいるかもしれない。
未来は美夜にも九条にもわからない。
ここにある確かな真実は空と海。風と水。人と大地。男と女。二人の刑事。
『だから男と女の関係は無理でもさ、バディとして俺の隣にずっといて欲しい』
承諾も拒絶もできない頼み事。無言の美夜が答える代わりに、細波《さざなみ》が物悲しげな旋律を奏でて泣いていた。