〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 木崎凛子の骨はひとまず最寄りの鎌倉警察署に送られた。美夜達が北鎌倉を出る頃には西の空が茜色に染まりつつあった。

『東京戻る前に寄り道しない?』
「主任に怒られるよ」
『平気平気』

 九条の発案で決まった寄り道の行き先は鎌倉の坂ノ下地区。国道134号線沿いの駐車場に車を停めた二人は、海風が吹き荒れる海辺の歩道に降り立った。

坂ノ下地区の海岸線に作られたタイルの遊歩道を歩く美夜の後ろを九条が遅れてついてくる。彼女は時折足を止め、逢魔時《おうまがとき》の空の下で波打つ海を見つめた。

『木崎は海で自殺したと思うか?』
「まさか。あの人は自殺するような人じゃないよ」

 木崎愁の愛車は、ここから近い由比ヶ浜地区の路上に乗り捨てられていた。夏木朋子の死亡推定時刻や北鎌倉から由比ヶ浜の移動時間を考慮しても、愁は人の動きが活発化する夜明けまでには由比ヶ浜に車を乗り捨てていたと考えられる。

由比ヶ浜周辺の江ノ島電鉄 和田塚《わだづか》駅、由比ヶ浜駅、長谷《はせ》駅の三つの駅の防犯カメラを8日の始発分から確認したが、8日土曜も9日日曜も木崎愁らしき姿はなく、鎌倉市内のタクシー会社に問い合わせても愁と容貌の似た男を乗せた記録はなかった。

 神奈川県内のあらゆるホテルや宿泊施設を手分けして聞き込み回っても、いまだ愁に関する情報は得られない。愁の足跡は由比ヶ浜で途絶え、彼は忽然と姿を消した。

 警視庁は雨宮冬悟と夏木十蔵、朋子夫妻殺害容疑の重要参考人として夏木コーポレーション会長秘書を、氏名と顔は非公開の状態で8日午後に全国指名手配。
北海道から沖縄まで四十七の都道府県警察が、木崎愁の行方を血眼《ちまなこ》になって捜している。

10日現在、木崎愁に対する捜査本部の見方は二つに割れていた。愁は海で入水《じゅすい》したか、あるいはタクシーや電車以外の何らかの方法で鎌倉を脱し、愁を支援する誰かの下で匿《かくま》われているかで意見が二極化している。

 木崎愁の協力者候補で有力な人物が、夏木十蔵の第二秘書を務めていた日浦一真だ。夏木十蔵邸の銃の保管部屋については日浦は知らないの一点張り、日浦が夏木十蔵と愁の裏の仕事を手伝っていた証拠は出なかった。

日浦には監視の刑事がつけられているが、今のところ彼に目立った動きはない。

 海風が美夜の髪をなびかせる。彼女は風で乱れた髪を手ぐしで整えてひとつにまとめ、コートのポケットから取り出した赤いバレッタで留め上げた。

「あの人と初めて会った日に彼が読んでいた本が、梶井基次郎の檸檬《れもん》だった」
『ああ……春に紺野萌子の聴取した時にお前と萌子がその本の話題で盛り上がってたよな。それが木崎の愛読書だったのは偶然というか、何と言うか』

確かに偶然とは面白い。愁との相席は紺野萌子の聴取をした春雷の夜だった。
< 147 / 185 >

この作品をシェア

pagetop